今週の1本

vol.67 『キャピタリズム~マネーは踊る~』 by 藤田彩乃


9月のテーマ:クセ

原題「Capitalism: A Love Story」。癖の強い、でも一度観たら癖になる作品を撮り続けるマイケル・ムーア監督の待望の最新作だ。「世の中の悪事と不条理のすべては、元をたどればすべて資本主義が原因である」という偏った意見を持っている私は、10月2日の全米公開が待ちきれず先行公開に出かけた。

「華氏911」ではブッシュ前大統領を痛烈に批判。前作「シッコ」ではアメリカの医療制度とアメリカ国民の現状を悲劇的に描いたムーア監督。そんな彼が今回テーマとして選んだのは、なんと資本主義。とてつもなく大きな敵と戦う気らしい。

サブプライムローンを組まされ支払が滞った家族が、担保である家を取り上げられるシーンから始まり、昨年から続く金融危機と世界不況の原因を分かりやすく解説。アメリカ型の市場主義経済の崩壊と資本主義の弊害を映し出す。

他の国では当たり前に存在する国民健康保険制度すら存在しない、超自由資本主義経済のアメリカ。教育も健康も、すべてがビジネス。他人がどうなろうがおかまいなし。そんな弱肉強食・利益至上主義の現状と、古きよきアメリカを比べ、その変遷を追っていく。

大統領選挙の2ヶ月前に突如発生した今回の金融危機。偶然にしては出来すぎていると眉をひそめる有識者たちは、すべては巧妙に仕組まれた詐欺だと言い放つ。事実、ウォール街のCEOたちはこの金融危機で大儲けしている。

たくさんの興味深い映像の中に、印象的なシーンがあった。テーブルの上においてあるパイを、子犬が必死にジャンプして取ろうとするのだ。ジャンプすればパイは見えるけど、手は届かない。どんなに力いっぱいジャンプしてもパイにはありつけず、椅子に座った人間が笑いながらパイを食べている。

周知の事実だが、世界の99%の富は、1%の金持ちによって所有されている。富める者がさらに富むように作られた資本主義システムでは、どんなに頑張ってもその1%にはなれない。しかし「アメリカン・ドリーム」というありもしない幻想を夢見せられて、貧しい者は苦しい生活に耐え続ける。

それはすべて、富裕層が描いたシナリオ通り。無慈悲にそしてスマートに欲しい物を奪っていくウォール街のエリートたちにはある意味、感嘆するが、改めて彼らの論理を説明されると、その強欲で利己的な言動にはヘドが出る。本来システムというものは、人々のために存在するべきものだ。しかし今は、「経済」というシステム自体が大きく育ちすぎて、それを維持するために、人々が犠牲になっている。

そして最後にムーア監督は観客に、この現状を変える力を貸してほしいと訴える。民主主義では誰もが平等に1票の投票権を持っている。資本主義のひずみが表面化し、人々が不平等に気づき初めた今こそ、民主主義の本当の力を見せ、我々の権利を叫ぶのだと。

日本では今年12月から限定公開、10年1月から全国拡大公開される。

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『キャピタリズム~マネーは踊る~』
監督:マイケル・ムーア
製作年:2009年
製作国:アメリカ
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vol.66 『マルホランド・ドライブ』 by 藤田庸司


9月のテーマ:妄想

ドキュメンタリー作品を除けば、そもそも映画というものは、その監督の頭の中、極端に言えば"妄想"を映像化したものではないだろうか。視聴者は、その監督の妄想をスクリーンを通して体感し、共感できたり興味を抱けば、それを面白い作品、理解できなければ退屈な作品と判断する。そう考えると、世間で名作と呼ばれる映画は、監督の妄想に多くの人が共感できたというだけで、名作=いい作品、駄作=つまらない作品とは言い切れないと思う。駄作と言われる映画は多くの人が、その監督の妄想に共感できなかったというだけで、共感できるマイノリティーにとっては"素晴らしい作品"であるはずだ。今日は、語られる時"面白い""不気味""理解できない""切ない"などといった様々な感想が飛び交うユニークな1本を紹介したい。

『マルホランド・ドライブ』

実在する、ハリウッドを一望できる通り"マルホランド・ドライブ"で、深夜、車の衝突事故が発生する。ただ1人助かった黒髪の女性はハリウッドの街までなんとか辿り着き、留守宅へ忍び込む。そこは有名女優ルースの家で、忍び込んだ黒髪の女性は、直後に家を訪れるルースの姪ベティに見つかってしまう。とっさにリタと名乗ったこの黒髪の女性を、ベティは叔母の友人と思い込むが、すぐに見知らぬ他人であることを知る。事故の後遺症で何も思い出せないと打ち明けるリタ。手掛かりはリタのバックの中の大金と謎の青い鍵。ベティは同情と好奇心から、リタの記憶を取り戻すために大胆な行動に出るのだが...。

僕の乏しい表現力で書いたあらすじでは、安っぽいミステリー映画に聞こえるかもしれない。しかし、監督は巨匠デヴィッド・リンチ。奇妙な世界観や、不気味なポップセンスが爆発している。最初に本作を鑑賞したときは、"摩訶不思議"なストーリー展開に頭を抱えたが、何度か見るうちに、本作には一種の謎解きのようなプロットが用いられていることに気づき、自分の中でストーリーの辻褄が合い始めると、すべての摩訶不思議がチェーンのようにつながり、壮大なテーマが浮かび上がった。さらにそのテーマを確認しようと何度か見ていくと、今度はさり気なく見過ごしていたディテールが、凄まじい存在感を発揮し始める。かれこれDVDで何十回も見ているが、見る度に底なし沼にでも引きずり込まれるような感覚に陥り、今尚、飽きることなく見続けている。デヴィッド・リンチはインタビューの中で、「映画は音楽だ。私の思いや、主張を感じるままに鑑賞してほしい」とアーティスティックに解説しているが、僕には「私がどう妄想しようと私の勝手だ」と聞こえてならない。ナオミ・ワッツの体当たりの演技が◎。

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『マルホランド・ドライブ』
出演:ナオミ・ワッツ、ローラ・エレナ・ハリング ほか
監督:デヴィッド・リンチ
製作年:2001年
製作国:アメリカ
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vol.65 『ラースと、その彼女』 by 藤田奈緒


9月のテーマ:妄想

究極のひとり遊び、妄想。
持て余すほど時間が有り余っている子供だけの特権かなとも思うけど、
むしろ大人向けの遊びと言えるかもしれない。

誰かと待ち合わせていて急に空いた1人の時間、カフェに入って注文した
コーヒーを待つ時間、なかなか寝つけない夏の夜。
タバコを吸う習慣のある人だったら、ちょっと一服して時間を潰すことも
できるだろうけど、生憎私はタバコを吸わないので、そんな時はここぞと
ばかりにあれこれ思いをめぐらせ、想像を膨らませては妄想にふける。
頭の中の世界では何だってあり。口に出しさえしなければ、誰にも知られ
ることもないのだから、これ以上ない有意義な1人の時間の過ごし方では
ないだろうか。ただしそれは、誰にも迷惑をかけなければの話。

アメリカの田舎町に住む青年ラースは、町中の人々から愛される心優しい
青年だが、1つだけ大きな欠点があった。それは極度にシャイであること。
これは彼の生い立ちが要因だったりもするのだが、その性格が災いして、
自分に好意を持ってくれてる女の子からも逃げてしまう始末。
しかし、そんなラースにある日突然、ガールフレンドができた。

待望のガールフレンド誕生に兄夫婦は大喜びするが、ネットで知り合った
という彼女ビアンカの正体はなんと等身大のリアルドールだった...。
呆然とする2人の前で、ラースはビアンカの生い立ちから職業、悩み事など
をいつになく楽しげに話すのだった。

普通だったら、「あーあ、ラースったら本当におかしくなっちゃったのね」
なんていう冷たい反応が当然だろうけど、この町の人々は違った。愛すべき
青年ラースのために、暴走しまくる彼の妄想にとことん付き合うことにしたのだ。
リアルドール、ビアンカは驚くべきスピードでコミュニティに受け入れられていく。
しかしすべてが幸せにうまくいっていると思えた時、突如ビアンカが病に倒れ
てしまう。そして訪れるビアンカの死。
周囲の励ましに支えられたラースは、自力でその死を乗り越え、同時に幼い頃
からのトラウマである母親の死を受け入れるのだった。

冷静に考えれば、そもそもリアルドールが病気になるわけもなく、死ぬわけもない。
旅をするはずもないし、洋服店でモデルのバイトをするわけもない。
それでもラースの妄想を跳ね除けることなく受け入れ、温かく見守り続けた町の
人々の泣きたくなるほどの愛情深さ。

これはただの妄想映画ではなく、1人の心優しい青年の心の成長物語であり、
現代における究極のファンタジー映画だ。

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『ラースと、その彼女』
出演:ライアン・ゴスリング、エミリー・モーティマー、ポール・シュナイダー
監督:クレイグ・ギレスピー
製作年:2007年
製作国:アメリカ
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vol.64 『太陽がいっぱい』 by 桜井徹二


8月のテーマ:海

海というのは、ある程度深いところまで行くと海面の下のことはまったくわからなくなる。どれだけの深さがあるのか、そこに何が住んでいるのか、ヒントさえ与えてくれない。だから海に行ったり船に乗ったりすると、僕はそのあまりの底知れなさにじわじわと恐怖を感じてしまう。

それは海を舞台にした映画を見ている時も一緒で、『ジョーズ』や『タイタニック』を見るたびに「海は怖い」という思いを新たにする。『ポセイドン・アドベンチャー』や『Uボート』にしても鑑賞後にいろいろ思うところはあっても、結局は「海ってすごく怖いんだ」という感慨にも近いような感覚に行き着いてしまう。『ウォーターワールド』もまた違った意味でケビン・コスナーに海は恐ろしいと思わせたはずだ。

もちろんその一方で、海の美しさ、雄大さを感じる作品もある。『グラン・ブルー』や『あの夏、いちばん静かな海。』、『ブルー・クラッシュ』などのサーフィン映画などもそれにあたるだろう。

そして中には海の美しさと怖さ、その両方を感じさせる作品もある。ルネ・クレマン監督作『太陽がいっぱい』もその1つだ。この作品はアラン・ドロン演じる主人公の青年リプリーが、富豪の息子フィリップを殺害して彼に成りすますというストーリーで、マット・デイモン主演の『リプリー』と同じ小説が原作になっている。

映画の序盤は、地中海に浮かぶヨットが物語の舞台となる。照りつける太陽と真っ白な帆、そして青い海のコントラストがとても美しいシーンが続く。

しかしフィリップの手ひどいいたずらや屈辱的な発言をきっかけに、リプリー青年の中でかねてからくすぶっていた暗い計画がむくむくと頭をもたげ始める。そしてやがてフィリップと二人きりになると、リプリーはその計画を実行に移すのだ。

どこか不穏な空気を漂わせるアラン・ドロンや、リプリー青年の見事な"成りすまし"計画、スリリングな逃走劇など見どころの多い作品だが、物語のオチもじつに鮮やかだ。最後の最後、完璧と思われた計画を一瞬にしてくつがえすショッキングな出来事が起こる。その時リプリー青年の頭に浮かんだのもやはり、「海は怖い」という感想だったに違いない。海の底に何が隠されているのかは、誰にもわからないのだ。

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『太陽がいっぱい』
出演:アラン・ドロン、モーリス・ロネ ほか
監督:ルネ・クレマン
製作年:1960年
製作国:フランス/イタリア
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vol.63 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』 by 浅野一郎


7月のテーマ:酒

禁酒法が敷かれていた1920年代のアメリカ・ニューヨークを舞台としたギャング映画である。僕がこの映画を観たのは、中学生になりたての時だったと思う。夜、父親に銀座に連れていかれ、あまり人気のない映画館で観た記憶がある。どう考えても、中学生が観ていい映画ではないのだが、当時はR指定などない時代。3時間以上のこのギャング映画を観た後、色々な意味で大人になった気分を味わったものだ。

出演はロバート・デ・ニーロ、ジェームズ・ウッズ、ジョー・ペシ、バート・ヤング、そしてまだ幼さの残るジェニファー・コネリー等々。物語は、若いユダヤ系移民の少年が裏の世界で成り上がり、そして転落していく様を描いた一大サーガだ。

ヌードルス(デ・ニーロ)、マックス(ウッズ)、パッツィー、コックアイ、ドミニク、モーの6人組は禁酒法の施工を逆手にとって、ヤミ酒で大いに稼ぐが、禁酒法時代がついに終焉を迎えたことによって、彼らもビジネスのやり方を変えざるを得なくなる。
大ボスの下について立場を固めようとするマックスと、小金があれば、それで満足というヌードルスの対立は次第に深まり、遂に悲劇的な最期を迎える...。

この映画で胸に残った場面が2つある。

1つ目はもっとも有名なシーンかもしれないが、仕事の成功に浮き足立つヌードルスたちがマンハッタン橋を背景にして闊歩するシーン。コックアイの吹くバンパイプの音がとても印象的なのだが、その直後に地元のギャングに襲われ、一番年少のドミニクが刺殺されてしまうシーンの「Noodles, I slipped...」というセリフが今でも耳から離れない。
ちなみに、このマンハッタン橋のシーンは、『インデペンデンス・デイ』での、ビル・プルマン扮する大統領のスピーチシーンに次ぐ映画史に残る名シーンではないかと思う。

2つ目は、ケーキ1つで体を許してしまうマギーの家に、パッツィーがケーキを持っていくところ。パッツィーは、そわそわしながらマギーが出てくるのを待っているのだが、チンピラといえども子供は子供。"色気より食い気"とばかりに、マギーが出てくるのを待てずケーキを平らげてしまう。ここのバックで流れているエンニオ・モリコーネの切ない曲がシーンを盛り上げている。

僕はふた月に1度くらいのペースでこの映画を観るのだが、この2シーンだけはチャプターを戻してもう一度観てしまう。映像と音楽の相乗効果が抜群で、何度観ても涙がこぼれるシーンだ。この歴史的名作をまだ観ていないという方は、今週末にでも早速観てほしい。

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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
出演:ロバート・デ・ニーロ、ジェームズ・ウッズ ほか
監督:セルジオ・レオーネ
製作年:1984年
製作国:アメリカ
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vol.62 『恋はデジャ・ブ』 by 潮地愛子


7月のテーマ:酒

『恋はデジャ・ブ』という作品をご存知だろうか。興行収入はふるわなかったようだが、隠れた名作と言われるビル・マーレイ主演のロマンティックコメディだ。
テレビの気象予報士フィルは、毎年2月2日に行われる春の訪れを占う聖燭節を取材するため、ある町を訪れる。彼はその晩を取材で訪れた町で過ごすことになるのだが、朝目覚めると、その日もなんと2月2日だった。時間のラビリンスに入りこんでしまったフィルは、何度も何度も同じ日を繰り返すことになる。

そもそもフィルは高慢ちきでイヤな男なのだが、何度も何度も同じ日を繰り返しているうちに善良な人間へと変わっていく。もちろん、その間には自暴自棄になってハチャメチャなことをしてみたり、ハデな自殺を試みたりする。だが、どうにもならないと人はそういう境地に達するものなのか分からないが、フィルは次第に丸くなり、人に優しくなっていく・・・。

で、どうしてこの作品を「酒」がテーマの今回に選んだのか。
初めて『恋はデジャ・ブ』を見たのは大学生の時だったのだが、ある酒場のシーンがとても印象深かったからだ。

フィルのとなりで酒を飲んでいる2人の男の片方が言う。
「人の幸せは考え方で決まる。ビールを飲んでいてふと気づいたとき、まだ半分も残っていると思うか、もうこれしか残ってないと思うか。」
胸がズキュンと痛んだ。確実に私も、「もう、これしか残ってない」と考えるタイプだったからだ。以来、『恋はデジャ・ブ』のこのシーンは、私の心の中に刻まれた。

だが、人の記憶とはいい加減なもので、今回久々にこの映画を観たら、「人の幸せは考え方で決まる」なんていうセリフはなかったし、たぶん今の私が初めて見たとしたらスルーしてしまうようななんてことのない場面だった。映画は出会いだとはよくいうが、その時の状況や心情といったものに感じ方が大きく左右されるんだなと改めて感じた。「人の幸せは、考え方で決まる」なんて勝手なセリフをつくりあげていた二十歳の頃の自分が、なんだかかわいく思えて笑ってしまった。あの頃はあの頃で、私なりにがんばっていたなあと。

年月を経ても「まだ、半分も残ってる!」的発想を確実にモノにはできていないが、「ビールがなくなっちゃったら、もう一杯頼めばいいや」ぐらいの気楽さはでてきたかもしれない。皆さん、くれぐれも飲みすぎには注意しましょう。

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『恋はデジャ・ブ』
出演:ビル・マーレイ、アンディ・マクダウェル ほか
監督:ハロルド・ライミス
製作年:1993年
製作国:アメリカ
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vol.61 『ウィスキー』 by 杉田洋子


7月のテーマ:酒

恐らく私が最初に口にしたアルコールは、父の飲み挿しのバーボンである。グラスに注がれるたびに氷をきしませる琥珀色の液体...。冷たい氷と、そこへ浸透するアツいウィスキーの調べに、幼い舌もついうっとりしたことを覚えている。二十年の時を経た今、おいしいスコッチとの出会いからこの原体験が蘇り、個人的にウィスキーブームが到来している。

今回ご紹介したい映画のタイトルは、その名もまさしく「ウィスキー」。2005年の東京国際映画祭でグランプリを受賞した、日本で見られる数少ない南米ウルグアイの作品である。

主人公は、ウルグアイでしがない靴下工場を営む老年のハコボ。古い機械と壊れたブラインドに囲まれた、従業員3人のつつましい工場だ。
ハコボは毎朝、カフェテリア(といっても洒落たものではなく、庶民派の軽食処)に寄って簡単な朝食を済ませ、工場に向かう。工場の前では毎朝、年配の女性従業員マルタが待っている。

"おはよう"

"おはようございます"

無口な2人は、仕事以外にほとんど会話を交わすこともない。マルタはときどきタバコをふかして一服し、ハコボはなかなかエンジンのかからないポンコツ車に乗って帰る。そうやって、毎日同じように1日が始まり、同じように1日が終わってゆく。

あるとき、死んだ母親の墓を建てようと思い立ったハコボは、ブラジルで同じく靴下工場を営む弟のエルナンを呼び寄せる。事業も好調で妻子持ちの弟に少しでも良い格好をしたくて、ハコボはマルタに妻のふりをしてくれと頼む。マルタはこの依頼に承諾し、まんざらでもない様子でハコボの家の掃除をはじめるのだった。

さらなる演出をしようと考えた2人は、おしゃれをしてダミーの夫婦写真を撮りに行く。この時出てくる言葉が、"ウィスキー"だ。日本で言う"はい、チーズ"に当たる。"イー"の口は笑顔になるから。ぎこちない2人の笑顔はたまらなくいとおしい。

一方で、この夫婦ごっこのきっかけとなったハコボと弟エルナンとの関係性も1つの軸になっている。エルナンには、親の介護を任せきりにしたというハコボへの負い目がある。ハコボには、自由奔放で成功者である弟に対し、どうしても卑屈になってしまうところがある。マルタを妻役に立てたのは精一杯の見栄だ。でも、兄弟はちゃんと愛し合ってる。ハコボが少し、素直になりきれないだけ。

そこかしこに登場するラテンアメリカらしい慎ましさも見所の1つ。
ハコボの取る朝食。カフェ・コン・レチェ(カフェラテ)やマテ茶。電気を律儀に消す様。
ブラインドが壊れても修理は来ず、車のエンジンは一度でかからず。トイレにはペーパーを持参し、チップを払わぬマルタ。たばこはつぶさず、繰り返し吸う。
小さなことを大切に、毎日同じことを律儀に繰り返す暮らしぶりは私たちの祖父母を思わせる。とても美しいと思う。

全体的にセリフは少なく、明示しない部分が多いけれど、シンプルで分かりやすく描かれている。とても穏やかで優しい気持ちになれる、思い当たる節がある、そんな映画。

質素であることの美しさ、ウルグアイという国の長短を理解しているからこそ、人間の芯を鋭く描き出せるのだろう。自国を客観的に捕らえた、当時30歳という若き監督コンビに乾杯。

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『ウィスキー』
出演:アンドレス・パソス、ミレージャ・パスクアル
監督:フアン・パブロ・レベージャ&パブロ・ストール
製作年:2004年
製作国:ウルグアイ=アルゼンチン=独=スペイン
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vol.60 『ライブテープ』&『不確かなメロディー』 by 石井清猛


6月のテーマ:憂鬱

憂鬱がbluesと言い換えられることはよく知られていて、もちろんそのこと自体は特別な秘密でも何でもありません。
でも試しに"I got blues"とつぶやいてみてください。呪文のように響くそのフレーズをひとたび口にすれば、誰もがたちまち胸に息苦しさを覚え、耳慣れないのにどこか懐かしい旋律が遠くでこだまするのを聴くことでしょう。
その時不意に訪れる、心が波立つような感覚を説明するのはそう簡単ではありません。
探している言葉はいつも、つかまえたと思った途端に指の隙間からすり抜けてしまうかのようです。

bluesという単語は一般に、悲しみや失望を引き起こす魔物の呼び名である"blue devils"が短く変化してできたと言われています。暗く沈んだ心の状態を表すその言葉は、濃い青色のイメージを帯びたまま、やがてアメリカ合衆国の南部で生まれた音楽の名称となりました。そしてその後bluesは、世界中の様々な音楽に影響を与えることになります。

今や好むと好まざるとに関わらず、bluesが聴こえない世界を想像することは、私たちにとって憂鬱と無縁な人生を送るのと同じくらい難しいことです。

それにしても"憂鬱という名の音楽"と"bluesという名の心理"が同時に存在する世界の、この不可解さは一体何なのでしょうか。
それら2つがメビウスの輪のように互いに結びついている姿は、ある意味、鶏と卵のパラドックスにも似て、私たちに軽くめまいを起こさせます。
ただ、一つだけ確かに言えるのは、この世界には憂鬱=bluesがあり、私たちはそこで生きるしかないということです。

とはいえ、それほど心配することはありません。
私たちは憂鬱な世界から美しいものが生まれることを知っていますし、幸いなことにそれを作品として残した人たちが実際にいるのですから。
例えば、忌野清志郎。そしてもう一人、松江哲明がそうです。

かつて"bluesは終わらない"と言った忌野清志郎が、ラフィータフィー名義で発表した「水の泡」という曲があるのですが、『不確かなメロディー』のエンディングで流れるこの曲を聴く時、私たちは憂鬱(清志郎ならユーウツと呼んだでしょう)がbluesに変わる瞬間に立ち会うことができます。

後期ビートルズにおけるジョン・レノンを思わせる、浮遊感をたたえたメロディーに乗せて歌われるその歌詞には、憂鬱=bluesの秘密が閉じ込められているのかもしれません。

この目に映る風景が
昨日と違う blue blue blue
同じ街を歩くのに
涙が落ちる so blue
あの娘は行ってしまった
あんなに愛してたのに
すべての努力もあっさり水の泡

忌野清志郎の詞が持つ力は、よく言われるように彼自身による歌唱と不可分です。
無防備なほど平易であっけらかんとした歌詞が彼の声によって歌われる時、言葉は思いもよらない相貌を見せることになります。
そこで私たちが出会うのは、もはや"悲しい言葉"や"面白い言葉"や"憂鬱な言葉"などではありません。
言葉そのものの、あるいは言葉を使う行為自体の悲しさであり、面白さであり、憂鬱です。

"なぜ言葉を話すのか?それは世界にbluesがあるからではないのか"

これからも私たちは忌野清志郎の歌を聴くたびに、そんな自問自答を繰り返すことになるのでしょう。

そう考えると、今年の3月にマスコミ試写で『ライブテープ』を見た際に、私が忌野清志郎のことを思い出したのは、単に前野健太の楽曲の感触から連想しただけではなかったのではないかという気がしてきます。

松江哲明監督の最新作『ライブテープ』は、今年の元旦に吉祥寺で行われた前野健太のライブを撮影したドキュメンタリー映画ですが、一般に"音楽ライブ映画"と言われているものとは、似て非なる作品です。

映画の撮影のためだけに行われた観客のいないライブだったこと。吉祥寺の街を練り歩きながらギターの弾き語りをする前野健太をゲリラ的に撮影したこと。そして、作品の全編をノーカットで一発撮りしたこと。などなど、『ライブテープ』を他と隔てる特徴を挙げていくことはできますが、この作品が凡百のライブ映画と決定的に異なるのは、作品自体がまるごと1曲のbluesとして成立している点でしょう。

制作背景にある松江哲明個人の憂鬱がどんなものであったにせよ、作品として完成した『ライブテープ』という映画において、吉祥寺の街で孤独にかき鳴らされる前野健太の歌は、実際に彼の音楽をよく知る人たちにとってさえ、新しい何かとして響いているはずです。
そして、全編を通じての歌の舞台となる吉祥寺がまるで見知らぬ街のように画面に映し出される時、私たちは『ライブテープ』という作品そのものが、これまで誰一人として聴いたことがない、新しいbluesであったことに気づくのです。

『ライブテープ』は、吉祥寺八幡の境内を歩く長澤つぐみをゆっくりと追っていく映像で幕を開けます。
画面は彼女が参拝を終えて境内から出るところまでを映し終えたあと、そのまま前野健太が歌う「18の夏」に移るのですが、今思うと、この冒頭の数分間の奇跡的な美しさは、これから誕生しようとする新しいbluesの、みずみずしいイントロだったのでしょう。

東京で梅雨空が続く中、LAではJune gloom(6月の憂鬱な空)が終わろうとしています。
私たちのbluesが終わらないとしても、実はそんなに悪いことではないのかもしれない。とそんな気がしています。

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『不確かなメロディー』
作詞・作曲・唄・演奏:忌野清志郎&ラフィータフィー
ナレーション:三浦友和
監督:杉山太郎
製作年:2000年

『ライブテープ』
作詞・作曲・唄・演奏:前野健太
撮影:近藤龍人
録音:山本タカアキ
演出・構成:松江哲明
製作年:2009年
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vol.59 『ロングバケーション~Long Vacation~』 by 浅川奈美


6月のテーマ:憂鬱

今月のお題は、何と「憂鬱」。
これとオススメ作品をはて...どうむすびつければいいものか。

「気がはればれしないこと。気がふさぐこと」を広辞苑では憂鬱という。
さして特別な感情ではない。

「私は●●だから憂鬱です」と理由が明確であるときもあれば、
「なんだか憂鬱」と漠然としたモヤモヤ感が体中充満してたり。
今この瞬間にも、地球上、何千何億の憂鬱が沸いては消えているのだろう。

北川悦吏子脚本の『ロングバケーション~Long Vacation~』。
男女の憂鬱がこれほどまで巧みに描写された作品はあっただろうか。
放映から13年経った今でも私にとって最高傑作のひとつである。


街からOLの姿が消えると言われていた月9(月曜午後9時)全盛期、1996年。
フジテレビ系列月曜9時枠で4月~6月に放映された大ヒット恋愛ドラマだ。
主演は山口智子と木村拓哉。
その他、竹之内豊、稲森いずみ、松たか子、りょうと今じゃ主役級の俳優陣が名を連ねる。
平均視聴率は29.6%、最高視聴率36.7%を記録した。


白無垢姿で街中を疾走してきた花嫁・南が、瀬名のマンションに怒鳴り込んでくる。
まずあり得ない強烈なオープニングに度肝を抜く。
しかしその後は、初夏の優しい時間の中、登場人物が織り成す何気ない日常の会話を中心に、緩やかに展開する物語。
それぞれの憂鬱を抱えながらも、ひとつまたひとつ言葉を重ねる。
笑い、泣き、時にはぶつかり、互いの心の痛みを少しずつ理解していき、
やがて惹かれ合うようになる南と瀬名...。

ただその恋の展開はじれったくなるほどゆっくり。直面している状況、先の見えない人生、抱える不安をむしろ丁寧に描いていくのだ。そしてひとつの奇跡へと物語は進んでいく...。

素晴らしいのは、その人ととなりを的確にとらえたセリフが絶妙のタイミング発せられる。
セリフ、画、音楽が溶け合い、生み出される登場人物の魅力は、画面上だけで留まらず、観る者の心にもしみこむ。

この弱者への優しさを言葉にさせたら、右に出る者はいない。
北川悦吏子の紡ぐ言葉たちは、間違いなく第一級だ。

婚約者に逃げられ、何をやってもうまく行かない。
そんな自分を痛いほどさらけ出す、無防備な南に、瀬名は語る。


瀬名:  「何をやってもダメな時ってあるじゃん。
      うまく行かない時、
      そんな時はさ、
      神様のくれた休暇だと思って、
      無理して走らない、自然に身を任せる」

南:  「そしたら?」

瀬名: 「そのうちよくなる」

いい。実にいい。傷ついた年上女子は一撃必殺。

名言、あげだしたらきりが無い。
最近、あのセリフがしみた。。。そんなことが言えるドラマが限りなく少ない気がする。


「おや?」
「ちょっとよろしいですか?」(by杉下右京)

記憶に残ってるセリフはこんなところか。


『ロンバケ』はAmazonで購入してからずっと大事にしているDVD。
なんだか憂鬱な時、優しい言葉を掛けてもらいたくなった時、デッキに入れる。

何年経っても優しさの温度が変わらない。
珠玉の言葉が持つ力って、こういうことなのか。
北川悦吏子の才能に嫉妬すらしてしまう。


最後。愛すべきキャラ、稲森いずみ扮する桃子の名言集。


------男女の友情って言うのは、
すれ違い続けるタイミング
もしくは、永遠の片思いのことを言うんです

------中身は女の子のまんまなんですよね。
時々、ブカブカの靴はいてる気がするよぉ。
ズック靴履いて、砂ぼこり上げて、運動場走ってたの、
昨日のような気がするよ。
中身は、なーんにも変わってないのにね


-------好きって気持ちは世界で一番えらいんですっ

はい。賛成!ヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノ

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『ロングバケーション~Long Vacation~』
製作年:1996年(全11回テレビドラマ)
脚 本:北川 悦吏子
演 出:永山 耕三 鈴木 雅之 臼井 裕詞
出 演:山口 智子 木村 拓哉 
音 楽:CAGNET(東芝EMI)
主題歌:「LA・LA・LA LOVE SONG」久保田 利伸 with NAOMI CAMPBELL
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vol.58 『ライオンキング』 by 藤田彩乃


5月のテーマ:旅

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」と芭蕉の言葉にもありますが、「旅」ときいて最初に思い浮かんだ言葉は「人生」。この世で生きるということは、ひとつの旅を続けているということ。後戻りできない恐怖と何が起こるか分からない不安の中で、寄り道したり休憩したりしながら、自分の選んだ道を歩んでいるのだと思います。そこで今回は私がこよなく愛するディズニー作品の中から『ライオンキング』をご紹介。主人公シンバの自分探しの物語です。

物語の舞台は動物の王国プライドランド。ライオンの王・ムファサは、王位を狙う弟スカーの罠にかかり殺されてしまいます。ムファサの息子シンバはスカーに脅され、自分のせいで父が死んでしまったものと思い込み、王国を旅立っていきます。失意のどん底のシンバは、ミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァ出会い、「ハクナ・マタタ(くよくよするな)」をモットーに、過去から目を背け新天地で楽しく暮らします。しかし、ひょんなことから幼馴染のナラと再会し、故郷の惨状を聞くことに。湖に映る自分の姿に亡き父を見たシンバはスカーと対決するため、王国に戻っていきます。

作詞家ハワード・アシュマンと作曲家アラン・メンケンの黄金コンビが去り、エルトン・ジョンが音楽を担当した本作。手塚治虫の「ジャングル大帝」に酷似していると、日本のアーティストがディズニーに抗議したり公開前から話題になり、「ひょっとして駄作に終わるのでは」と幼心に勝手に心配していたのを今でも鮮明に覚えています。(私はブラックジャックに本気で恋をするほどの手塚治虫ファンですが、盗作だとは思いません。)

映画の冒頭のサバンナのシーンは圧巻。名曲「Circle of Life」が流れる中、いきいきと壮大な大自然を駆け回る動物たちの姿に釘付けになります。ディズニー映画はセル画の数が多くて有名。1秒間に24枚のセル画を使うフルアニメなので、キャラクターがまるで生きているかのように美しく動きます。日本のアニメでは経費節減のためなのか、キャラクターがあまり動かず口だけ動いてることも多いですが、ディズニーでは6フレーム以上、キャラクターが動かないことは絶対にありません。実際の人間の動きに少しでも近く見せようとこだわっている結果なのですが、その影響もあってアメリカの吹替作品のリップシンクの正確さは、目を見張るものがあります。

ディズニーソングが大好きな私としては、挿入歌もオススメしたい!主題歌の「Can You Feel the Love Tonight 」はアカデミー賞 作曲賞、主題歌賞を受賞しています。あまり有名ではありませんが、私のお気に入りは「He Lives in You」。聞くだけで鳥肌が立ちます。「Hakuna Matata」は底抜けに陽気で元気が出ること間違いなし。バカがつくほど楽天家な私のテーマソングでもあります(笑)

また、ジュリー・ティモアの斬新な演出でトニー賞を総ナメにした舞台ミュージカル版も必見。影絵や文楽などアジア伝統芸能を取り入れた演出は衝撃的でした。英語のオリジナル版でティモンとプンバァはニューヨークのブロンクス訛りで話すのですが、日本で上演されるにあたっては各上演地の方言に翻訳されました。いくつか観ましたが、プンバァは大阪弁が似合っていましたね。日本では劇団四季が上演していますので、機会があればぜひご覧ください。

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『ライオンキング』
監督:ロジャー・アレーズ、ロブ・ミンコフ
脚本:ジョナサン・ロバーツ、アイリーン・メッキ
音楽:ハンス・ジマー
主題曲:『愛を感じて』
作曲:エルトン・ジョン
作詞:ティム・ライス
製作年:1994年
製作国:アメリカ
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