やさしいHAWAI’ I

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第17回:ハワイのナンバー2のママ
2011年07月15日

【written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)】1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近の私】今年も近所の大学で聴講している。昨年までは年間を通して映像文化論を受講していたが、今年は前期に文化人類学を取った。これが面白い!! ハワイの原稿を書くに当たっても考えさせられることが多く、得たものを原稿に少しでも反映できたらいいが・・・。
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クレさんは本当に陽気でおしゃべりで親切な人だった。クレさんとは、私がハワイで親しくしていた、リチャード・ヨコヤマさんの妹。毎週土曜日リチャードさんの一族や友人たちがつどう、ヨコヤマさんの家での集まりで知り合った。

性格がとてもオープンなクレさんとは、会ってすぐ親しくなった。「アツコさん、わたしクレよ。困ったことがあったら、なんでも言いなさいね。遠慮したらダメよ」こんな調子だった。いつも可愛いベビーフェイスに笑顔があふれていた。

「アツコさんのハワイのナンバー1のママはヨコヤマの姉さん(クレさんはリチャードさんの妻ツルさんをこう呼んでいた)、私はナンバー2のママよ」と言ってくれたクレさん。だんだんお腹が大きくなる私を労わってくれて、一緒に買い物に行ったり、診察に連れて行ってくれたり、まるで実の母親のように私の面倒を見てくれた。何だかクレさんの実の娘さんたちに申し訳ないくらいだった。

クレさんはよくご主人のお墓参りに行った。ご主人は元軍人で、緑の芝生に覆われた明るい軍人墓地に眠っていた。ハワイの日系人は昔の日本人の心を継いでいるのか、総じて祖先を大事にし、多くは週に1度お墓参りをする。そのため、市場や花屋さんには、お墓参り用の花がたくさん並んでいる。私たちもクレさんと一緒にご主人のお墓をたびたび訪れたが、そこにはいつも新しいアンセリウムの花が供えられていた。そして必ず「主人は、家の修理をしていて、屋根から落ちて亡くなったの。いい人だった」と思い出話を聞かせてくれた。真っ赤なアンセリウムが映える、青々とした芝生が広がる中で、クレさんのご主人に対する思いをしみじみ感じた。

それから数年してクレさんは乳ガンになった。結局、それが脳へ転移し、治療の甲斐なく亡くなった。私たちはすでに東京へ戻っていたので、お見舞いに行けなかったことが今でも悔やまれるが、あとで娘さんから聞いた話だと、クレさんは最後まで陽気なクレさんのままで、それがかえってとても不憫に思えたそうだ。見せてもらった写真に写っていたクレさんは、大勢に囲まれて真ん中に座っていて、頭部は治療のために布に被われていた。写真の中の、相変わらずの優しい笑顔のクレさんを見て、私は涙が止まらなかった。

今、クレさんはご主人のお墓の隣に眠っている。毎週娘さんがお墓参りに行くおかげで、2人のお墓に花が絶えることはない。私もハワイを訪れる時は、必ずクレさんご夫婦のお墓参りをするが、そのたびにあの陽気でお世話好きな彼女の笑顔を思い出し、懐かしい気持ちになる。

ヨコヤマさん一族にめぐり合わなかったら、私は初めての出産をハワイで迎えようとは決して思わなかっただろう。リチャードさん、ツルさん、そしてクレさんたちみなさんのおかげで、日本から遠く離れていながら、大勢の「ハワイの父親」や「ハワイの母親」に囲まれて過ごすことができた。私は本当に幸せものだった。


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この軍人墓地に、クレさん夫婦は眠っている。

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最近の日系人のお墓は、このように小さなスペースが壁に並んでいる。
外には花を供えられるように小さな水入れが、そして中にはお骨が納められているが、
日本から大切に運ばれてきた、お位牌が納められているものもある。