やさしいHAWAI’ I

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第2回:「ヒロのアパート」   
2010年05月07日

1972年も押し迫った12月、夫の海外赴任でいよいよハワイでの生活が始まった。住まいとなったアパートは、ヒロのダウンタウンへ向かうキラウエアアベニューから北に少し入った、マイレストリートにあった。

アパートは3階建と4階建の2棟。造作は実に簡単で、壁はむき出しになったブロックにペンキが塗ってあるだけだった。我が家は3階建の棟の2階で、入り口のドアを開けるとリビング・ダイニングキッチンと、奥にベッドルームが1つ。しかし2人暮しには十分な広さだった。リビング・ダイニングキッチンはおよそ20畳ほどあっただろうか。

冷蔵庫、オーブン、ベッド、ソファ、ダイニングセットなどは備え付けだった。流しにはディスポーザー(生ごみ粉砕機)がついており、鶏の骨以外の生ごみはそこに詰めて粉砕し、水で流してしまう。慣れないうちは、指まで粉砕してしまいそうで怖かった。エアコンはついていなかったが、あまり必要性を感じなかった。

ヒロは雨がよく降る町で、特に夜明け前の4時前後に、ザーッという雨音でよく目が覚めた。その雨で気温が下がり、朝方はヒヤッとするくらいだった。

ハワイでの快適な毎日の生活で、ただ1つ不便なことがあった。ランドリールームが1階にあり、毎日洗濯かごを抱えて階段を上り下りしなくてはならない。ランドリールームの入り口があるアパートの裏側には、当時バナナの木やヤシが生い茂っていた。真っ暗な室内には大きな洗濯機と乾燥機が2台ずつ並び、誰かの下着を入れてガラガラと音をたてながら回っている。

周囲には人の気配がなく、少しぐらい声を上げても誰にも気づかれそうになかった。私は洗濯かごを抱えながら、恐る恐る入口の電灯のスイッチを点け、中に誰もいないことを確認しながら洗濯をした。

しかしそのうちそんな環境にも慣れ、時には洗濯機が空くのを待ちながら、アパートの住民と世間話ができるようになった。私たち以外はすべてローカルの人たちで、とてもフレンドリーで親切な人たちばかりだった。

この"1階のランドリールーム"は、その後もちょっとしたトラブルの原因になる。私たちはホノルルへ移るまでのおよそ2年間を
このアパートで過ごすことになる。ランドリールームが1階にあることを除いたら、全てが快適な このアパートで。


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[30年以上経って訪れてみたが、以前よりきれいになっていた。
現在の所有者は弁護士でハワイ大学の学生向けのアパートに変わっていた。写真は現在の様子]