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第4回: サモアからの出稼ぎファイヤ―ダンサー
2010年06月17日

【written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)】1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近のわたし】サッカー、ワールドカップ、対カメルーン戦で。「えっ...ロスタイムが4分!?」レフリーのゲームオーバーの笛が、なんと待ち遠しかったことか。日本チーム、初戦勝利、おめでとう!!

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住んでいたヒロのアパート自体はとてもシンプルなものだったが、周辺の景色はすばらしかった。すぐ前にあるワイアケアの池は滔々と豊かな水をたたえ、時々ローカルの男の子たちがボートを浮かべて魚釣りをしていた。手前の岸辺には緑の芝生が広がり、ヤシの葉がそよぐ。空はどこまでも青く、さわやかな風がほほをなでる。池の向こうにはワイアケアビレッジ・リゾートホテルの低い屋根が見え、夜になると、灯ったトーチの炎が池にちらちらと映り、ホテルからファイヤーダンスショーのドラムの音が聞こえてきた。

hawaii4-1.JPGのサムネール画像

〔アパートから眺めた、ワイアケアの池とワイアケアビレッジ・リゾートホテル〕


夫は日本からのお客さんを連れて、何度かこのホテルのファイヤーダンスを見たと言う。当時ヒロには、ショーを見ながら食事ができるホテルは、ここしかなかった。ダイニングルームの中央に舞台がしつらえてあり、その上でタヒチアンダンスやファイヤーダンスのショーを見せるのだ。
 
実はそのファイヤーダンサーの一人が、我が家の真上の部屋に暮らしていた。アパートのマネージャーの話によると、彼は遙々サモアからハワイに出稼ぎにやってきて、同じサモア人の仲間と一緒に暮らしているということだった。サモアは南太平洋に位置する島々で、国内人口はおよそ18万人ほどだが、それをはるかに上回るサモア人が、ハワイやニュージーランド、オーストラリアなどへ移住、または出稼ぎに出ているという。(ハワイ出身のコニシキも両親はサモア人だ)。

このファイヤーダンサーは浅黒い肌で大柄の、体のガッチリした人だったことは覚えているが、どんな名前でどういう顔だったかは全く記憶にない。おそらく生活のサイクルが違っていて、ほとんど話しをする機会がなかったからだろう。ただ、夕方になると真っ赤なサンダーバードに乗って仕事に出かける姿を時々見かけた。サンダーバードといえば、ケネディ大統領の就任パレードにも登場した、フォードの高級車。おそらくサモアからハワイに出稼ぎに来て、まずは憧れの車を手に入れたのだろう。

彼は深夜、仕事を終えてアパートに帰ってくるとまずシャワーを浴びる。簡単な造りのこのアパートでは、真下の部屋に位置する我が家に、その流す水の音が聞こえてくる。それが決まって正確に夜中の1時15分だった。

向かいのホテルにトーチが灯り、ドラムの音が流れてくると、「あのサモアからの出稼ぎファイヤーダンサーは、両端に火の付いた棒をクルクルと回して舞台の上で踊っているのだろうな」と想像したりした。顔もはっきりしない彼については、サモア人であること、ファイヤーダンサーであること、真っ赤なサンダーバードに乗っていることしか知らなかった。しかしハワイ生活がまだ浅かった私に、それは強烈な"異国"を感じさせた。