やさしいHAWAI’ I

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第19回:CAFE100
2011年09月16日

【written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)】1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近の私】筋書きのないドラマ、スポーツにおいて、「この瞬間をリアルタイムで目撃することができた」という大きな幸せを感じる機会が続いている。サッカーのなでしこジャパンワールドカップ優勝や、テニスでは今年の全米オープン準決勝、決勝でのジョコビッチのふんばり。「人間って、ここまでやれるんだ」そんな感動を与えてくれた。
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私たちが住んでいたヒロのアパートのすぐ隣に「CAFE100」というドライブインがあった。ハワイ通の方はご存知かもしれないが、この店は、今や日本でもお馴染みのハワイのローカルフード「ロコモコ」発祥の地で、ガイドブックなどにも登場している。ロコモコ以外にもさまざまなメニューがあり、特に昼どきは駐車場が車で一杯になる人気の店だ。

ヒロに住んでいた頃はよくここでランチを食べていたが、このドライブインの名前の「100」が何を意味するのか、いつも疑問に思っていた。しかし調べてみると、これにはハワイに住む日系二世の人々が歩んできた歴史にまつわる由来が存在していたのだった。

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〔アパートの隣のCAFE100〕 


1941年、太平洋戦争が始まり、アメリカ国内の日系人社会は大きく変わった。アメリカに生まれ、アメリカの教育を受けている日系二世にとっては、日本は両親の母国とはいえ、遠い外国だった。一方、多くの一世は、「自分たちの母国は"日本"だ」という強い信念が邪魔をしてか、なかなか英語がうまくならず、アメリカの生活にも馴染めずにいた。国内では、そんな日系人に対する警戒が強まり、特に教育や宗教に携わっていた知識層の人々の中には強制収容所へ送られる人も大勢いた。

そこで、日系二世は自分達のアメリカに対する忠誠心を示すためだけでなく、両親である日系一世のハワイでの立場が少しでも良くなるようにと、ハワイ日系人の志願兵のみで「第100歩兵大隊」を編成した。ハワイ語で穴を意味する"プカ"という言葉があるが、「0」は真ん中に穴が開いているということで、この大隊の名前を日系人は「ワン・プカ・プカ」と呼び、勇気と誇りを表す代名詞のようになった。

一方、日系一世の心境は複雑だった。息子が自分達の母国である日本を敵に回し、アメリカ兵に志願すること自体許せない親も多かった。しかし、そんな思いとは逆に、「ワン・プカ・プカ」はアメリカ本土での訓練で優秀な成績を上げ、精鋭部隊に成長してイタリアへ派兵される。さらにアメリカ本土の日系人も参加した日系人部隊・442部隊と合流し、211名のテキサス州兵第一大隊の救出を行う活躍をした(これについては、すずきじゅんいち監督の映画「442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」に詳しい)。

その第100歩兵大隊に所属していたのが、「CAFE100」の創業者、リチャード・ミヤシロさんだ。第100歩兵大隊にいたことを誇りに思っていたリチャードさんは、帰還後に開いたこのドライブインに「100」という名前をつけたのだった。

「CAFE100」は1946年ダウンタウンのカメハメハ・アベニューで開業。それからわずか3ヵ月後大津波に襲われたが辛うじて全壊を免れ、建物の修理をしながら営業を続けた。その後1960年、1号店からさほど遠くない場所に「CAFE100」2号店を開く。ところが23日後、2号店までもが再び大津波に襲われ店が全壊してしまった。

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〔2008年 のStar Bulletinから  この写真は2号店〕

しかし、そこで諦めないのが「ワン・プカ・プカ」魂だ。ミヤシロさんは1962年、今度はダウンタウンから少し離れたキラウエア・ストリートに「CAFE100」3号店をオープンした。これが、私たちの住んでいたアパートのすぐ隣にあり、人気店となった「CAFE100」だったのだ。

ヒロにいた当時は、ノンキにブラブラと散歩しながらロコモコを食べに行っていた「CAFE100」は、実は日系人の不屈の魂に支えられた店だった。私たちが通っていた当時の様相から比べると、店のたたずまいが随分変わったが、娘のゲイル・ミヤシロさんは今は亡き父親の遺志を立派に継ぎ、現在もなお「CAFE100」はヒロの町にとって大切な日系人の心のふるさとのような存在になっている