やさしいHAWAI’ I

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第26回:雨の都 ヒロ
2012年04月13日

【written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)】1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近の私】今年の桜は、完ぺきなタイミングで、最高に美しいお花見ができた。武蔵野市役所前の通りを、花びらが散る中、淡いピンクのトンネルを車でゆっくり走る。日本人であることの幸せを胸いっぱいに感じた。
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ヒロは雨がよく降る町だ。北東からやって来る湿った空気を含んだトレードウィンド(貿易風)が、ハワイ島の中央にそびえるマウナケアとマウナロアの2つの山にぶつかり、その手前の町ヒロに雨を降らす。ハワイの町にして、別名"雨の都"という名を持つほどで、年間平均降雨量は東京のおよそ2倍だ。

ハワイへ行く前に観光案内書でそれを知り、お土産にしてもいいと思って折りたたみ傘を10本ほど買って用意した。その昔プランテーション時代に、サトウキビ畑に働きに出かけた日系移民は、『弁当忘れても傘忘れるな』と言ったそうだ。日系人が3分の1を占めるというヒロの町、"きっと雨が降れば住民はみんな一斉に傘を広げるに違いない"と想像していた。

しかし、ヒロの町で生活を始めてみると、どこを歩き回っても傘をさしている人など見当たらない。車社会ということもあるが、たまに見かける路上の若者たちは、雨に濡れることなど何とも感じないかのように、平然と雨の中を歩いている。すぐにまた太陽が顔を出し、雨に濡れてもたちまち乾いてしまうのだ。そんなハワイで生活しているうちに、逆に、"日本ではなぜ、ほんのわずかな雨でもすぐに傘をさすのだろうか"と疑問に思うようになったくらいだ。結局お土産にと思って買った10本の折りたたみ傘は、そのままアパートの物置の奥でほこりをかぶることになった。

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〔これがハワイかと思うような景色だ。マウナケアとマウナロアの山頂の雪。青々とした木々の手前に見えるのはサトウキビ。〕




この雨は、冬になるとマウナケアとマウナロアの山頂に雪を降らす。ハワイも日本の冬の時期は気温が少し低くなるのだ。ハワイに住んでいた当時、お正月になると日本からの観光客がワイキキビーチで海に入るのを見て、"寒くないかな~"と感じたものだ。

日本のガイドブックで、ハワイでは降雨量が多いだけではなく、雪も降ることを知った私は、あろうことか日本からの引っ越し荷物の中に、スキー道具一式をしのばせた。どんな山かも知らず、ハワイでスキーをすることを夢見て・・・。マウナケアは標高4205メートル、マウナロアは4169メートル。もちろん富士山よりずっと高く、簡単に山頂へ登れるような山ではないことは、ハワイで生活を始めてから知ったこと。ここでどうしてもスキーをしたければ、"4輪駆動のジープに乗るか、ヘリコプターを1台雇うかしない"そうだ。結局スキー道具一式も、折りたたみ傘10本と共に、1度も使われることなく物置の片隅に追いやられた。

ところが、実際にスキーを滑った人に会ったのだ。その人はシマダさんの友人で、還暦をとうに過ぎている女性。若い頃スキーで日本の国体に出場した経験の持ち主だが、縁あって40代半ばでハワイの日系人に嫁ぎ、優しいご主人と共に幸せな生活を送っている。ハワイに移住した後、何としてもマウナケアで滑りたいという彼女の望みをかなえるために、ご主人が4輪駆動のジープを買ってくれたそうだ。ついに望みは実現し、マウナケアでスキーを滑ったところが、途中で転倒して骨折。回復までにかなりの時間を要したと話してくれた。大学の体育の授業でスキーを習っただけの私など、ハワイでスキーを滑りたいと思っただけでも大それたことだった・・・。

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〔左:雪に覆われたマウナケア山頂。右はその雪の中を歩いていた人影。現在はマウナケア山頂まで道路が建設され、山頂への観光ツアーバスが走るようになった〕

しかし雨が多く降るおかげで、ヒロの町は木々の緑が美しく、雨が降った後にはきれいな虹がよくかかる。時には大きな二重の虹になる時があり、それを見て私はよく、オズの魔法使いの主題歌"Over the Rainbow"を口ずさんだものだ。『Somewhere over the rainbow way up high...』。私にとってこのハワイが、まさに虹の向こうにある夢の国だった.。