第33回:青い小瓶
2012年11月29日
【written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)】1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。【最近の私】2人目の孫(女の子)の出産を前に、なんとなく落ち着かない日々を送っている。最初の孫は男の子でつい先日4歳になった。先日我が家に遊びに来て、こんなことがあった。 「僕、もう赤ちゃんやめたの」と言う一方で、パパとママから少し離れたところで「やっぱりまだ甘えたい」と私に告白したのだ。頭のどこかで妹の出産を理解しようとしている心の葛藤を見た気がして、切なくなった。
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先日、テレビで久しぶりに『秘密のケンミンSHOW』を見た。ご存知だと思うが、これは日本各県の様々な名産品、県民性などを取り上げ、面白おかしく紹介する番組だが、その特徴を良く捕らえてなかなか興味深い。今回は大阪の女性が「神戸の人みたいね」と言われるととても喜ぶ、ということを紹介していた。神戸の人は洗練されて、スマートなイメージがあり、大阪の女性の憧れだそうだ。
それを見ているうちに、思い出したことがあった。
10年ほど前ハワイ大学の夏季セッションに参加するため、ヒロで2ヵ月一人で生活したことがあった。私は暇にまかせて、ナップサックを背負いアパートからヒロのダウンタウンまで、毎日のように歩いた。特に水曜日と土曜日は、ダウンタウンで開かれるファーマーズマーケットで、大好きなパパイヤを買うのが楽しみだった。4つで1ドルのパパイヤを1山欲しいと言うと、"オマケだよ"と言って2山くれる。ナップサックはパパイヤでいっぱいになり、帰り道が大変だった。
車だとつい通り過ぎてしまうところも、歩くと周囲の景色は違って見え、あちこち頭を突っ込みたくなるものだ。ある日、前を通るたびに気になっていた小さなアンティークの店に立ち寄ってみた。中には歴史を背負った興味深い品物がずらりと並び、同じように歴史を背負っているような日系のおばあちゃんが一人店番をしていた。私が日本からやって来たことが分かると、うれしそうに日本語で話しかけてきた。日本ではどこに住んでいるか、ハワイは初めてかなどといろいろと尋ねられていたところに、もう1人の日系のおばあちゃんが店に入ってきた。店主の友人らしい。店主はそれまでの話から、私が日本からやってきたこと、昔ヒロに住んでいたことなどをその友人に説明した。するとその店主の友人は、今度は私に親しげに話しかけてきた。
「私はね、ヒロ出身じゃあないの。ホノルルのギョール(girlのこと。かつてアメリカ人の発音がこう聞こえたのだろう。今でも日系二世は女の子のことをこのように言う)だったのよ、こんな田舎のヒロの出じゃなくて、ホノルルのシティギョールだったのよ・・・」彼女は何度もそう言った。少々勝ち気そうな表情には、ホノルル出身であることに確固たる誇りを持っていることがはっきりと感じられた。
私はその言葉を聞いて、衝撃を受けた。同じ日系人の間でも、"ホノルル出身者は都会の出"、という感覚があるということをその時初めて知ったのだ。そういえば、夫の転勤で最初にハワイにやって来た時、ホノルルに次ぐ第2の都市と聞いていたヒロを、私も人口4万人の田舎町だと思った。でも"田舎町の何が悪いのだ"と今は思う。ヒロは私の第二の故郷。世界中探してもこんなに心にしみる優しさを持った町はない。私はかつてのシティギョールにそう言いたかった。
それでも、話が弾んで何か買わずにいられなくなり、店の中を物色したところ、とても興味深いものを見つけた。高さ8センチ、幅3センチほどの青いガラスの小瓶だ。「Japanese Medicine $18.00 」とラベルが張ってある。びんのガラスの表面には「志らが赤毛染 ナイス」という文字が浮き出ている。これにはかつての日系人が使った毛染め薬が入っていたのだ。意外だったのは、それが「赤毛染め」となっていたことだった。彼女たちは白髪を黒ではなく赤毛に染めたのだろうか。白人のような髪の色にしたかったのだろうか・・・。目の前にいるホノルル出身のシティギョールを見つめながら、彼女の遠い昔の日々に思いを馳せた。