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第6回:忘れざる過去への謝罪
2010年08月06日

【written by メイソン千恵(めいそん・ちえ)】オーストラリア人の夫と共にブリスベンに在住。現在はオーストラリアの先住民、アボリジニを支援する団体「ノワカ」で活動中。驚きや感動を抱きながら、独特の文化と生活に触れている。
【最近の私】最近は、ノワカ、翻訳、和太鼓の繰り返しの日々を送っています。今月は7回も太鼓パフォーマンスが入っているので、大いそがし...。でも、頑張って日本文化を広めます!
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今回は、第2回(「夢と希望を与える勝利」)でも少し触れた"ケビン・ラッド(Kevin Rudd)首相のアボリジニの人々に対する謝罪"についてお話したいと思います。たった2年前に起こった、オーストラリアのアボリジニと白人の歴史を知る上でとても重要な出来事です。

1860年ごろから約100年にわたり、オーストラリア政府は、アボリジニやアボリジニと白人の間に生まれた子供たちを親元から強制的に引き離し、政府やキリスト教会運営の施設に隔離していました。そして、子供たちに「アボリジニ文化は悪いものである」と教え込み、徹底的な西洋教育を施したのです。成長すると、彼らは召使いや牧場労働者として白人社会に送り込まれ、多くの場合は二度と家族のもとへ戻れませんでした。

この政策の結果として、アボリジニの人々は、家族や文化はもちろん、アボリジニとしてのアイデンティティさえ喪失することになりました。また、本来であれば次の世代に受け継がれるべき、多くの伝統や生活様式なども失われたのです。施設で精神的・肉体的な虐待を受けた人々も多く、彼らは"盗まれた世代(Stolen Generation)"または"盗まれた子供たち(Stolen Children)"とよばれ、今も心身の傷は癒えないままだと言います。

そして1997年5月26日、政府はこの政策をまとめたレポート"Bringing them Home"を公開。この内容は国内に衝撃を与え、大きな議論が起こりました。その翌年からは、反省の意を込めて、5月26日を"National Sorry Day(国家謝罪の日)"としましたが、当時の首相だったジョン・ハワード(John Howard)氏はアボリジニの人々への謝罪を拒否。しかし2007年にケビン・ラッド氏が首相に就任すると、議会で正式に謝罪の演説を行ったのです。

私はこの様子をテレビで見ましたが、ラッド首相は謝罪文のなかで「sorry」という言葉を何度も繰り返していました。この言葉を聞くため、議会の行われた首都キャンベラには、オーストラリア全国から1000人近くのアボリジニの人々が集まりました。その多くは"盗まれた世代"の人々や親族で、謝罪の言葉が流れると、うなだれて泣き始める人々もいました。多くは首相の謝罪を受け入れ、「アボリジニにとっての"ベルリンの壁の崩壊"だ」、「この言葉は多くのアボリジニにとって大きな意味がある」などとコメント。しかし一方で「政府は私たちの両親の願いに耳を貸さず、親元に帰ることを認めようとしなかった。記念日の意義は認めるが、失った過去は戻ってこない」と語る人もいました。また国会議員の中にも、「過去の政策は善意に基づいたものだ」と演説に反発する人がいるなど、さまざまな議論が起きました。

それでも、この謝罪はアボリジニにとって大きな意味のあることだったと思います。当時の影響は現在もまだ色濃く残っており、演説で全てが解決されたわけではありませんが、オーストラリアが未来に向かうための大きな1歩となったことは間違いないでしょう。

  Picture 4.jpg      Picture 5.jpg
"Sorry day"を記念して、ネイティブ樹木の苗を  ノワカスタッフとコミュニティの子供、一緒に苗木
植えるノワカスタッフ

   Picture 6.jpg
苗木の行われたコミュニティセンターにあるペインティング。

ケビン・ラッド首相の謝罪映像
http://www.youtube.com/watch?v=b3TZOGpG6cM
http://www.youtube.com/watch?v=HB5eRqiP9Po&NR=1

実話をもとにして製作された"Stolen Generation"に関する代表映画:
裸足の1500マイル(英題:Rabbit-Proof Fence)