明けの明星が輝く空に

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第51回:昭和特撮2大悪役
2014年03月31日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】『進撃の巨人』が映画化される。メガホンをとるのは樋口真嗣監督。『巨神兵東京に
現る』で、ミニチュア特撮の神髄を見せてくれた監督だけに、昭和特撮ファンの僕ら
には期待できそう。
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ヒーロー番組の悪役は、刺激の強い香辛料に似ている。たとえば、四川風麻婆豆腐の山椒。実のところ、僕はあの舌が痺れる辛さが好きではない。だけど、全く入っていないと物足りない。ラーメンに入れるおろしニンニクには、魔性とも言うべき魅力がある。「口臭が...」と思いながら、ついつい多めに入れてしまう。
 
悪役には、癖になりそうな魅力がある。Chewing Overで『戦え!シネマッハ』を書いている鈴木純一さんも、悪役に魅了された一人だろう。同ブログ内のシリーズ「悪役を語るコラム」で、10人以上の悪役について書かれている。まだ登場していない悪役で僕が推すのは、ルトガー・ハウアーが『ブレードランナー』で演じたレプリカントだ。もし鈴木さんが書く予定だったら申し訳ないので、多くは語れないけれど、これだけは言わせてください。あのラストシーンのセリフ、カッコ良すぎますって!ね、鈴木さん。
 
特撮番組で印象に残る悪役といえば、タイガージョーとハカイダーだ。前者は、特撮時代劇『快傑ライオン丸』に登場する隻眼の剣士。後者は、この5月に新作映画が公開予定の『人造人間キカイダー』に登場するアンドロイド。ともにヒーローに負けない強さを誇り、昭和の特撮ファンの間で人気が高い。
 
タイガージョーのモチーフは、もちろんトラだ。ライオンにとって最大のライバルを持ってきたところに、制作サイドの意図が窺える。つまり、ライオン丸とタイガージョーを同等、あるいはそれに近い存在として描こうということだろう。両者が名乗りを上げる場面にも、それは表れている。ライオン丸の口上が「ライオン丸、見参!」なのに対して、タイガージョーは「タイガージョー、推参!」だった。
 
柳生十兵衛や丹下左膳と同じ隻眼という設定も、タイガージョーを魅力的に見せようとする工夫だろうか。手負いの戦士は、歴戦の勇者という雰囲気があって強そうだ。さらにタイガージョーは、悪役には珍しくテーマ曲を持っていた。ギターの伴奏で口笛が奏でるウェスタン調のメロディーは、どこか哀しさが漂う。やがて彼に訪れる悲劇を、暗示するかのように...。
 
いわゆるカッコ良さでは、ハカイダーも負けてはいない。黒を基調とした悪役らしいデザインは、見た目からして強そうだ。逆に愛車のオートバイは白で、その名も"白いカラス"。あえて黒にせず、そしてこのネーミング!誰の命名かわからないが、シャレているではないか。また、ハカイダーはダーティーハリー顔負けの破壊力を持つ、ハカイダーショットという大型銃を持つが、刀にしろ銃にしろ、男の子は武器が大好きだ。ブルース・リーがヌンチャクを使っていなかったら、果たしてあれほど人気が出ただろうか。
 
ハカイダーには、テーマソングがあった。キカイダーを倒すことが俺の使命と、明快に自分の存在意義を歌う。タイガージョーのテーマ曲とは対照的に、勇壮な雰囲気のメロディーだった。特にトランペットとドラムの奏でるイントロが秀逸で、ヒーローのテーマソングにもなってもおかしくないほど。ハカイダーに込められた制作者の思いが、そこからも読み取れる。
 
タイガージョーとハカイダーには、もうひとつ共通点がある。彼らの最大の魅力とも言えるそれは、信念に基づいて己の目的を追求し続けたことだ。タイガージョーはもともと、剣の道を究めんとする武士だった。たとえ邪剣と言われようが、勝った者が強いのだと信じ、悪に魂を売ってタイガージョーとなる。彼がライオン丸と戦ったのは、自分の強さを証明するためでしかなかった。ハカイダーも、それによく似ている。彼が受けた指令はただ一つ、「キカイダーを破壊せよ」。それ以外のことは、眼中になかった。2人の頭の中には、人類に不幸をもたらそうなどという邪悪な概念はないのだ。それどころか、タイガージョーは卑怯な戦い方を嫌ったし、ハカイダーも汚い手を使おうとした仲間の作戦を妨害した。そして、ともに組織から裏切り者とみなされ、非業の最期を迎えてしまう。
 
タイガージョーとハカイダーは、厳密には悪役とは呼べないかもしれない。むしろ、花形満や力石徹のような、好敵手と呼ばれる存在に近いだろう。どちらにしても、彼らのおかげでストーリーが広がり、より作品が面白くなったことは疑いもない。新作映画『キカイダー REBOOT』のハカイダーにも、大いに期待したい。

第50回:ダンはきっと帰ってくる
2014年03月05日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている<br>【最近の私】このブログを始めて、はや4年。第50回という区切りにふさわしい内容を選び、いつ もの3倍、ネタ帳のページを費やしました。原稿書きながら、何度も目が涙で...。BGMについて触れられなかったのは残念。
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「西の空に明けの明星が輝くころ、一つの光が宇宙へ飛んでいく。それが僕なんだよ」。モロボシ・ダンは、自分がウルトラセブンであることを明かした後、こう言ってヒロインに別れを告げた。前後編2回に渡って放送された『ウルトラセブン』最終話、「史上最大の侵略」でのワンシーンだ。

僕は以前、ウルトラマンを"満開の桜"に、ウルトラセブンを"散る桜"にたとえたことがある(このブログの第2回「満開の桜より散る桜」参照)。『ウルトラセブン』という作品には、どこか哀しさが漂う。それが、舞い散る桜の風情に似ていると感じたからだ。僕の心情に一番影響しているのは、この「史上最大の作戦」かもしれない。ざっとストーリーを説明しておこう。

地球上での度重なる戦いで、体にダメージが蓄積したセブン。モロボシ・ダンの姿でウルトラ警備隊の任務についているとき、意識が朦朧としてミスを重ね、宇宙船の地球侵入を許してしまう。夜、自室のベッドでうなされていると、"セブン上司"の姿が枕元に浮かび上がり、「これ以上変身して戦えば、2度と故郷の星へ帰れなくなる」と警告を受ける(第34回「"セブン上司"再評価の時」参照)。そんな状況で、宇宙人による地球規模の侵略が始まった。そして、仲間の一人が捕らわれてしまう。ダンは精密検査をすすめるヒロインに正体を明かし、制止を振り切って戦いへと向かった。ところが、セブンに変身したものの体が思うように動かず、何度も怪獣に叩き伏せられる。しかし、一瞬のスキをついて逆転。そのままよろめきながら立ち上がり、明け方の空に光となって消えていく。まるで、星になって宇宙へ帰っていくかのように...。

これほどドラマチックなストーリー展開の特撮番組は見たことがない。"ウルトラシリーズ最高峰と呼ばれる理由として、最終回の存在は大きい"と評されるのも、分かってもらえるだろうか。ファンの間で語り継がれるヒロインとの場面など、"凡百のラブシーンを超えた"とまで言われている。だけど僕は、この最終回が特別な点は、もっと本質的なところにあると思っている。それは、ヒーローとの"心の触れ合い"と"別れ"だ。
正体を告白されたヒロイン、アンヌ(第19回「アンヌへのラブレター」を参照)は、ダンに言う。「人間であろうと宇宙人であろうと、ダンはダンに変わりないじゃない」。それに対してダンは、「ありがとう」と答える。正体を明かした以上、これはダンとしてだけではなく、セブンとしての言葉でもあるだろう。「ダン」は本来の自分ではない。いわば人間に"変身"した仮の姿だ。それでも、仲間たちと力を合わせて戦い、一緒に笑った日々は決して嘘などではない。セブンにとって、もし「ダン」を否定されたら、自分の一部を否定されることになる。しかしアンヌは受け入れてくれた。心からの感謝を込めた「ありがとう」だったに違いない。これほど真摯なヒーローの言葉は、他にないだろう。セブンとアンヌの心と心が通い合った、特別な瞬間だった。

アンヌがダン=セブンを受け入れたのは、人類の側から見ても大きな意味を持つ。「ダンはダンに変わりない」というセリフがなければ、ダンは物語の中で、さらには僕らの心の中で、宇宙人に戻り、異世界の住人になってしまっただろう。ダンという人格が消えてしまった、と言ってもいい。だけどアンヌの言葉のおかげで、そうはならなかった。そして、ダン=セブンということは、セブン=ダンということでもある。それを象徴的に表しているのが、真実を知らされたウルトラ警備隊の隊員たちの言動だ。彼らは目の前で怪獣と戦うセブンを、それまでのように「セブン」とは呼ばず、「ダン」と呼ぶようになっていた。

やがて訪れるセブンとの別れは、ダンとの別れをも意味することになる。その分、彼らの悲しみは深い。そしてその悲しみは、ブラウン管のこちら側で見ている僕らのものでもあった。(この点は、『ウルトラマン』と比較するとわかりやすい。ウルトラマンは最終回、それまで体を借りていた地球人のハヤタと分離して、地球を去っていった。つまり僕らに別れを告げたのは、ウルトラマンという宇宙人だけだったのだ。しかも彼は人間と心の交流はおろか、ほとんどコミュニケーションを取ることもない相手だった。セブンとは、そこが違う。)

ダンが去って行った空を見上げながら、ウルトラ警備隊の隊員の1人が言う。「ダンは生きている。遠い宇宙から俺たちの地球を見守ってくれるさ。そしてまた元気な姿で帰ってくる」。そして最後、空にダンの笑顔が浮かぶ。あの笑顔にもう一度会いたい。僕はそんな想いを、ずっと心のどこかにしまい、大事に持ち続けてきた気がする。きっとそれは、いつまでも消えることはないだろう。