第14回:ALOHA KALAPANA, ALOHA JAPAN(大好きなカラパナ、大好きな日本)
2011年04月22日
【written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)】1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。【最近の私】毎日地震や津波、原発のニュースが頻繁に流れる中、次男の結婚式を無事に終えました。式場だった名古屋は元気で活気に溢れ、東京駅に戻った時は節電の影響で、何だか寂しい雰囲気でした。がんばろうニッポン!
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ハワイ諸島の中で最も南にある最大の島、別名ビッグアイランドと言われるハワイ島は活火山の島として知られている。20世紀に記録された噴火数は45回。最近は1983年、キラウエア火山で大噴火が起き、28年経った今も活発な活動が続いている。島には火山が全部で5つ。さらにもう1つ、ロイヒと名付けられた新しい海底火山が島の南東の海の底で活発に活動していて、その高さはおよそ3500メートル。すでに富士山程に成長し、およそ5万年後にはその姿を海面に現すと言われている。
ハワイ島の南西部に、カラパナ・ビーチと呼ばれる、美しい黒砂海岸があった。カラパナ・ビーチは遠い昔海へ流れ込んだ溶岩が、波の浸食で長年の間に細かい黒い砂になってできた海岸だ。波打ち際にはたくさんのヤシの木が茂り、他の白砂の海岸とは趣を異にした本当に美しい景色だった。私はカラパナが大好きだった。
1977年9月、ハワイの原風景を色濃く残すカラパナの村に、溶岩が接近していることを知らせる警報が鳴り、住民に避難を喚起した。キラウエア火山の火口の1つ、プウ・オオから海に向かって流れ出した溶岩は、村からわずか1キロあまり上方で流れを止めた。しかし1986年プウ・オオは再び噴火を始め、1990年、ついにカラパナの村を襲う。住民は溶岩流の恐ろしさを熟知していた。もはや、その流れを止めるすべはなかった。真っ赤な溶岩は村のすべてをのみ込み、人々は長年をかけて築いた家が目の前でメラメラと燃え上がるのを、涙の中でただ見ているしかなかった。
それからおよそ20年後の2008年、私は再び懐かしいビーチを訪れた。ギラギラと黒光りしている溶岩が延々と続く中を海へ向かって歩いて行くと、溶岩は徐々に細かく砕かれ、波打ち際では黒砂に変っていた。そしてそこには、かつてのブラックサンド・ビーチの再生を願い、人々が祈りを込めて植えた多くのヤシの実が、芽を出し育っていた。昔と変わらない美しい青い空と青い海。黒い砂の海岸は少し趣を変えてはいるが、そこに成長する若いヤシの木は、いつの日にか再び、昔と同じ美しい景色を取り戻してくれるだろう。
〔右の写真は、実際にカラパナを訪れた時のもの。人々が祈りを込めて植えられたヤシの実が大切に守られている〕
美しい自然は時に牙をむく。どれほど知恵を絞っても、人は否応なしにその災いに襲われることがある。それは考えられないほどの大きな悲しみを生じる。それでも人は地球を愛し続け、苦難を乗り越え、必ず美しい地球を取り戻す。一人ではムリだろう。でも誰も一人ではない。地球の多くの人々に支えられながら、人は一歩一歩進んでいく。歩みは遅いかもしれないが、必ず希望を取り戻す日が来る。