やさしいHAWAI’ I

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第36回:今はなきアロハエアラインのお話
2013年03月08日

【written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)】1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近の私】次男が今月か来月にチンタオへ、長男が5月にインドネシアへ転勤になる。同時期に息子二人が日本を離れるが、本人が希望していたことでもあるし、親も似たような生活をしていたのだから、喜んであげたい。これからは世界に視野を広げて、思う存分仕事に励んでほしいと思っている。
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ハワイにはかつて、2つの航空会社があった。その1つ、アロハエアラインのロゴはゴクラクチョウの花。もう1つのハワイアンエアラインのロゴは頭にハイビスカスを付けた女の子。特に理由はないのだが、あえて言えば"Aloha" という言葉が好きで、ヒロへ向かうときは必ずアロハエアラインを選んで乗っていた。

10年近く前のことだ。何気なくインターネットでアロハエアラインのHPを開いてビックリ。「米連邦破産法11条の適応申請」とある。「今後は米国の法律による保護の下、通常通りの事業を継続しながら事業再建を進めてまいります。今回の申請は事業の停止や撤退を意味するものではありません。・・・」

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〔アロハ・エアラインのトレードマーク、バード・オブ・パラダイス 極楽鳥花の模様。 これがもう見られない〕

知らなかった。今後はアロハには乗れなくなるかもしれない、そんな不安が心をよぎった。その後ヒロの友人がメールで、アロハエアラインが2008年4月1日以降、旅客事業から完全撤退することになったと知らせてきた。「隣に住んでいるアロハエアラインの従業員の、いつも出勤時に聞こえる車の音がなくなって気の毒だ」、とメールに書かれていた。

ハワイの象徴の1つとも言うべきアロハエアラインが61年の歴史を閉じたことは、大きなショックだった。破産の主な理由は格安航空との競争の激化。2006年にフェニックスに本拠を置くメサ・エアー・グループが、ハワイで格安航空会社"Go!Airlines"の運航を始め、その過当競争についていけなかったということだ。

その後2009年、このメサ・エアー・グループが"Go!Airlines"の名前を"AlohaAirlines"に変更したいと申し入れたが、アロハエアラインの従業員から、「倒産した理由は、"Go!Airlines"の過激な値引き合戦のせいだ」と強い反発があり、果たすことができなかった。裁判所はこの「Aloha」というブランド名を、アロハエアラインの最大株主の投資会社Yucaipa Cos.が150万ドルで所有する権利を許可したが、それはメサ・エアー・グループには絶対に譲らないという条件付きだった。アロハエアラインの従業員の気持ちが認められた瞬間だった。

ところが話はこれで終わらない。このメサ・エアー・グループが、2010年、やはり破産法第11章を申請し倒産したのだ。130機の航空機が負担になったという。中にはアロハエアラインの航空機も含まれているだろう。何という皮肉な巡り合わせだ。

36-image005.jpgYouTubeにある「Aloha Airline Last Day」というタイトルの映像では陽気なジャワイアン(ハワイアンミュージックとレゲエが融合したもの)の音楽にのって、アロハエアラインのキャプテン、乗務員、エンジニア、その他大勢の従業員が、親指と小指を立てた"Shaka" (ピジンイングリッシュで、どうしてる?元気? 気楽にいこう、などの意味)のサインを示しながら笑顔で別れを伝えている。そして最後は『Thank you・・・ for 61 years of service』 という言葉で締めくくられる。

流れるジャワイアンミュージックの中で、繰り返し歌われる歌詞が "spread a little aloha around the world (小さなアロハを世界中に振り撒こう)"  ハワイの人はどんなに辛いことでも、こうして笑顔で昇華してしまう。 そこが私がハワイに惹かれる最大の理由なのかもしれない。

私のハワイでの多くの思い出は、このアロハエアラインとともにあった、と言っても過言ではない。どんなにヒロが好きでも、人口3万人の小さな町に住んでいると、時には"大都会"に浸りたくなることがある。私をホノルルに運んでくれるのはあの飛行機なんだ、と大空を飛ぶアロハエアラインを見上げながら思っていたことを今でもときどき思い出し、切ない気持ちに駆られている。