第22回:「お宮参りに聖水?」
2011年12月09日
【written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)】1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。【最近の私】今朝、ハワイの島田さんから久しぶりに電話をもらった。ご主人のジョーが亡くなって1年3ヶ月が経った。12月8日の開戦の日がジョーの誕生日で、生きていれば90歳になっていたという。ハワイの昔を知っている人々が徐々に姿を消していく。
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ヨコヤマさんに「昼と夜を間違えて生まれてきた」と言われていた息子の夜泣きも徐々に落ち着き、そろそろお宮参りをしなくてはということになった。新米ママとしては、首がしっかり座る前に連れ出すのが不安だったこともあり、お宮参りの日は生後100日目とすることにした。場所は地元で唯一の神社、ヒロ大神宮である。
当日、夫はアロハシャツ、私はムームー、長男は暑い中、日本から送られてきたお宮参り用の産着を掛けてという、日本とハワイが入り混じったようないでたちだった。やることなすこと、全てが初めての経験。産着をどうやって掛けるのか、教えてくれる親もそばにはおらず、かつて何となく日本のテレビや雑誌などで見たおぼろげな記憶を探り、汗だくになりながら必死に準備をしてヒロ大神宮の鳥居をくぐった。
宮司は宮崎さんという方だった。始めに儀式の簡単な説明があり、長男がこれからすくすくと育つようにと、厳かに祝詞が挙げられお祓いをした後、あっと驚くことが起きた。なんと宮崎さんは水の入った器を手に取り、それをすくって長男の額と口にたらしたのだ。これではまるで、かつて映画で見た外国の赤ちゃんが教会で受ける洗礼式のようではないか! あれから35年以上経った今でも、あの時の驚きは鮮明によみがえってくる。あれは一体なんだったのだろう...。
そこで今回、この原稿を書くにあたり、ハワイにおける日本宗教、中でも神道に関していろいろと調べてみた。
最初にハワイの日系移民に広められた宗教は、意外にもキリスト教だった。先の見えない不安や労働の辛さから移民たちの生活が荒れ、日本から牧師の岡部次郎がハワイへおもむき、伝道を始めたのだ。その後、布教された宗教は仏教、神道と続き、1898年、ハワイで最初の神社がハワイ島に創立された。天照大神を祀り、当初は大和神社と呼ばれていたのだが、実はこの神社こそが長男のお宮参りに行ったヒロ大神宮である。ヒロのダウンタウンに建てられ、1903年にヒロ大神宮と改称されたが、社殿は1946年、1960年の2度のツナミに襲われたため、現在はハワイ大学ヒロ校に近い高台に再建されている。
神道は1941年の太平洋戦争の開戦と共に危険な宗教とみなされ、ハワイの宮司の多くが逮捕収監された。日系人はFBIなどの捜査を恐れて神社に近寄ることを避け、戦後も神社に参拝する日系人の数は減少。また日本語学校が廃止されたことから、日系2世3世の日本語離れが進み、神道はますます遠い存在となった。太平洋戦争を経験した日系1世と2世、そして若い世代の間に微妙なずれが生じ始めた。
戦後、ハワイの神社は、日本語をほとんど話せない若い日系人の世代に神道を広めるため、日本とは異なるスタイルで運営をするようになった。マウイ神社では宗教的な行事が終わった後、キリスト教会でよく行われるビンゴに興じる。またハワイ出雲大社の宮司は、建造物の地鎮祭やお祓いに出かける際に、ハワイ人のキリスト教の牧師とペアになって行くそうだ。キリスト教式の祈りと神道式の祈りとでタッグを組むというわけだ。
となると、あのお宮参りで行われた洗礼式のような儀式は、神道がハワイという土地に適応しようするひとつの姿だったのではないだろうか。大げさに言えば、ハワイにおける宗教変遷の歴史の1ページを目撃したということになるのかもしれない。私は勝手にそんなことを考えて、あの聖水の儀式を納得することにした。
参考資料:「海を渡った日本宗教」 井上順孝著 弘文堂
「ハワイの神社史」 前田孝和著 大明堂
「ハワイ日系人社会と日本宗教」 柳川啓一 森岡清美篇
東京大学宗教学研究室
「ハワイ島日本人移民史」 ヒロタイムス