明けの明星が輝く空に

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第42回:ヒーローとビジネス
2013年07月05日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】スポーツ中継で「~てきた」という表現が氾濫している。たとえば「シュートを決めてきた」は、「シュートを決めた」の方が適切な場合も多い。翻訳者がそれを、"スポーツの実況らしい言い回し"だと勘違いしたりする。困ったことだ。
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円谷プロダクション創立50周年を記念して、ウルトラマンシリーズの新作が7月10日に始まる。タイトルは『ウルトラマンギンガ』(以下『ギンガ』)。深夜に放送された『ULTRASEVEN X』以来、6年ぶりの新作ウルトラマンだ。

しかし『ギンガ』は独立した番組ではなく、『新ウルトラマン列伝』という30分番組の中に、枠をもらって放送されるに過ぎない。しかも、劇場版へのステップという位置づけではあるらしいが、わずか11話で終了してしまう。創立50周年記念にしては、なんとも寂しいではないか。仮面ライダーと比べたとき、その思いはより強くなる。

平成12年に復活した東映のライダーシリーズは、独立した番組として放送が続き、現在の『仮面ライダーウィザード』で14タイトル目だ。一方、平成8年に復活したウルトラマンシリーズは、数回の中断を挟みながら平成19年に終了。12年間で8タイトルの放映にとどまった。ここ数年、劇場版でいくつかの新作が発表されている同シリーズではあるが、テレビではもはやライダーの敵ではないのだろうか。

ライダーシリーズが人気を維持している理由は、いろいろあるだろう。ひとつ考えられるのが、多角的なビジネス戦略だ。その代表的なものがキャラクター商品だろう。特撮番組に関連したオモチャに限ったことではないが、キャラクター商品は映像作品の人気を高める効果がある。たとえば、自分の好きなヒーローの人形で毎日遊んでいれば、ますます好きだという気持ちが盛り上がり、番組を欠かさず見るようになる、という具合に。

キャラクター商品の売り上げが多ければ、ロイヤリティとして入る金額も大きくなる。それが番組制作費に反映されれば、映像作品の質の維持・向上、ひいては視聴者獲得につながるだろう。その意味で、最近のライダーがモードチェンジでいろいろ姿を変えたり、毎回のように複数のライダーが登場したりすることは無視できない。それだけ人形の種類も増え、子どもたちは1つ買ってもらっただけでは満足できず、「あれも買って」と親にせがむことになるからだ。

ウルトラマンの中にも、姿を変えるものはいた。だけど大胆に外観が変わるライダーたちに比べれば、その変化は小さく地味だ。子どもへのアピール度は弱い。また複数のウルトラマンが登場する作品もあることはある。でもその数は、せいぜい2人。主役の他に3~4人、ときには12人もの仲間やライバルが登場したライダーとの差は歴然だ。

平成ライダーは、人形以外の商品も豊富にある。たとえば変身ベルト。劇中ではただ巻いているだけでなく、カードやメモリなどの装着によってライダーのモードチェンジを可能にする。当然ストーリー上の重要性も高まり、子どもたちの興味を引きやすい。またライダーは武器を持って戦うことが普通になったが、子どもはなぜか武器というアイテムに弱い。誰でも武器さえ持てば、強くなれるからだろうか。それはともかくとして、ヒーローが使う武器を子どもが欲しがるのは当然だ。そうして買ってもらった変身ベルトを腰に巻き、武器を構えれば、"なりきり感"がぐっとアップ。そのまま番組を見れば、彼らのテンションは最高潮に達する。

こういったビジネス面において、『ギンガ』はライダーにどう対抗するのだろうか。『ギンガ』の設定で分かっているのは、ウルトラ戦士や怪獣が、闇の力によって人形に変えられているということだ。これは明らかに、キャラクター商品の売り上げを考えてのことだろう。子どもたちからすれば、劇中に登場するのと"同じもの"を手にすることができる。これは画期的なことだ。これまでは、ウルトラマンにしろライダーにしろ、人形はただヒーローたちを"模したもの"に過ぎなかったのだから。果たして他にも策はあるのか。『ギンガ』の第1話に注目しよう。

第40回:ウルトラマンのスーツアクター・古谷敏
2013年04月25日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】恥ずかしい話だが、温泉で熱中症になってしまった。あれがもし、湯船の中だったらと思うとゾっとする。適切な処置をしてくれた友人に、ただただ感謝。
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ウルトラマンが、実は吐き気に耐えながら怪獣と戦っていたのをご存知だろうか?

もちろん、これは劇中のウルトラマンではなく、ウルトラマンのスーツアクター、古谷敏のことだ。マスクとスーツを着用しての長時間の撮影は、想像以上に過酷なものだったらしい。手袋やシューズの中には汗がたまるほどで、軽い熱中症にもなったという。撮影の合間には人目に付かない場所へ行き、胃の中の物を戻していたそうだから壮絶だ。

こんな裏話は、テレビ画面を見ているだけでは分からない。そういった意味で、貴重な資料となるのが古谷氏の自伝『ウルトラマンになった男』(小学館)。この本を読んでまず印象に残ったのは、彼が他の俳優たちを羨望の眼差しで見ていたというくだりだ。『ウルトラマン』には科学特捜隊という特殊部隊が登場するが、そのオレンジ色の衣装が彼には金色に輝いて見えていた。特撮ファンの僕などは、ウルトラマンのスーツアクターなんて夢のような仕事だと思ってしまうが、当時、古谷氏は東宝の若手俳優。映画スターを夢見ていた彼には、顔出しで演技をする隊員役の俳優たちが、うらやましくて仕方がなかったのだ。

そんな古谷氏の夢は、憧れの俳優、宝田明が主演したようなメロドラマに出ること。そして、それは意外と早く実現する。アマギというウルトラ警備隊の隊員役で出演した、『ウルトラセブン』。その第31話、『悪魔の住む花』では、ある少女(演じるのは当時16歳の松坂慶子!)が宇宙細菌に感染する。彼女を何とか助けてくれるよう、医師らに懇願するアマギ。その演技は熱演という言葉がふさわしい。一方、花畑でのラストシーンでは、抑えた演技で優しさをにじませる。実はアマギ隊員と少女の間に、恋愛と言えるような関係性はなく、『悪魔の~』は"メロドラマふう"でしかなかったのだが、当時の古谷氏にはそれで十分だった。もらった台本をドキドキしながら読んだというし、ラストシーンの撮影日は、朝から気持ちが高ぶっていたとも述懐している。

しかし、僕の心に残るアマギの姿は他にある。それは、第28話『700キロを突っ走れ!』だ。アマギは主人公のモロボシ・ダンと組み、荒野を車で走り抜けるラリーの大会に出場する。それは新規開発の超高性能火薬を、秘密裡に運ぶため。アマギには、少年の頃に見た花火工場の爆発事故がトラウマになっていたが、逃げ出したくなる気持ちを抑え、なんとか任務を遂行していく。そんな中、車に仕掛けられた時限爆弾を発見。彼はその処置を命じられる。自分にはできないと訴えるアマギ。キリヤマ隊長はその顔に平手打ちをくらわし、「命令だ」と冷たく言い放つ。もちろん、これはアマギがトラウマに打ち克てるようにという親心からだ。結局アマギは、時限装置の解除に成功するとともに、恐怖心を克服し、無事に任務を終えた。

どちらかと言えば、いつも少し頼りないイメージのアマギ隊員が懸命に困難に立ち向かう姿は、見る者の胸を打つ。そしてそれは、ウルトラマンのスーツを着て奮闘した、古谷氏本人の姿にも重なってくる。撮影現場でのあまりの辛さに、彼は何度もやめたいと思ったそうだ。しかし、ウルトラマンがいかに子どもたちに夢を与えているかを知り、古谷氏は最後まで不平や不満を言わず、仕事をやり切った。

『ウルトラセブン』出演後、古谷氏はイベント運営会社を設立。俳優業からは引退した。他の人物を演じる姿を見ていないこともあり、僕の中では今も「古谷敏=アマギ隊員」だ。だからウルトラマンの中には、あの気弱なアマギが入っているように感じてしまう。過酷な撮影現場で奮闘するアマギ隊員。『ウルトラマンになった男』を読み終えた今、なんだかウルトラマンがいとおしい存在に思えてきた。今度『ウルトラマン』を見るとき、僕は心の中でこう応援するだろう。頑張れウルトラマン、頑張れアマギ。そして、頑張れ古谷敏。

第36回:殺陣師と特撮ヒーロー
2012年12月20日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】最近ある対談本を読んで、赤塚不二夫作品が読みたくなった。でも復刻版もなければ、ブックオフにもない。なぜだろう。
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年末年始は時代劇のイメージが強い。この時期恒例の『忠臣蔵』に加えて、正月の時代劇特番がすっかり定着したからだろう。

時代劇という言葉からまず浮かぶイメージは、主人公が悪党どもをばったばったと斬り捨てる場面だ。ものすごく極端な言い方をすれば、殺陣のシーンがなければ時代劇ではない。キスシーンのないハリウッド映画など成立しない(?)のと同じである。

殺陣において、主役の技量が重要なのは言うまでもないが、斬られ役の存在も忘れてはいけない。斬られ方ひとつで、見栄えが変わるからだ。また斬られた人間は、素早く画面から消えなくてはいけない。足下に転がったりしていては、どんどん死体が増えて足の踏み場もなくなり、殺陣どころではなくなってしまう。

殺陣師や斬られ役などのプロが集まった、大野剣友会という殺陣集団がある。時代劇には欠かせない彼らだが、実は特撮ヒーロー番組でも活躍していた。例えば『仮面ライダー』。ライダーやショッカーの怪人・戦闘員を演じていたのは、大野剣友会のメンバーだった。そうと知って思い返せば、『仮面ライダー』の戦闘シーンは時代劇の殺陣のシーンによく似ている。ライダーを数人の戦闘員が取り囲む場面は、まさにそうだ。円陣の隊形を組んで回転しながら機を窺い、まず1人が襲い掛かる。そしてそれを合図に、他の戦闘員も次々に攻撃を仕掛けていく。誰でも、時代劇でこんな場面を見たことがあるだろう。

この場合「同時に攻撃すればいいじゃん」、などと野暮なことを言ってはいけない。なるほど、たしかにその方が現実的ではある。映像にリアリズムを追求するのであれば、そうすべきだろう。しかし、複数の戦闘員とライダーが、団子状態でもみ合ったりしていたら、どうだろうか。映像として美しくはない。次から次へと襲い来る敵を、1人ずつ撃退するライダー。リアリズムからは遠くても、ほぼ様式化されたその動きから映像に勢いとリズムが生まれる。それは、様式美を追求した殺陣の魅力の1つじゃないだろうか。

ただし、ライダーの体さばきは、時代劇とはほど遠かった。刀ではなくパンチやキックで応戦し、派手な空中アクションも多いから、当然と言えば当然のことだ。走るときも現代人のように、腕を前後に振り足を上げていた。侍であれば、腰の位置を一定にし、すり足で走るだろう。今回の記事を書く上で、これは少し残念な点だった。もし走り方が侍風であれば、「こんなところにも剣友会ならではのアクションが!」と話を持っていくことができたからである。

でもそんなことを考えているうち、あるヒーローの姿が頭に浮かんだ。ウルトラセブンだ。セブンはまるで侍のように、サササと走ることがよくあった。走り方が侍風だったのは、足の運び方だけではない。両手はファイティングポーズのまま。体の横で前後に振ったりすることもしなかった。それは、侍が刀を構えたまま走っている姿を連想させる。このセブンの走り方。もしや。そう思い調べてみると、結果は予想通り!セブンを演じたスーツアクターの上西弘次氏は、殺陣師だったのだ。であれば、あの走り方は納得だ。

そういえば、セブンは刃物も使った。アイスラッガーと呼ばれる武器で、普段はブーメランのように投げて使うが、時としてそれを手に持ち小刀のようにして敵に斬りつけた。すれ違いざまに胴を斬り、返す刀で背中に一太刀浴びせる。こんな動きは、まさに殺陣師ならではだ。ウルトラマンにも八つ裂き光輪(本コラム第20回の記事参照)という刃物系の武器はあったが、これは投げるだけ。手に持って戦うということはなかった。セブンの場合は、スーツアクターが殺陣師だったからこそ、小刀のように使って戦うというスタイルが採用されたのかもしれない。

殺陣集団や殺陣師が、ヒーローのアクションを担当する。これは、もちろん日本ならではのことだ。ハリウッド映画ともホンコン映画とも違うアクションの系譜。特撮ヒーローものにそれを応用したら、と考えながら年末年始の時代劇を見るのも面白いかもしれない。

第32回:失われゆく(?)技
2012年08月31日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】『ダークナイト・ライジング』を観た。『プロメテウス』も観ないと。他に『遊星からの物体X』、『バイオハザード』、アメリカ版『ゴジラ』の新作もあるらしい。最新のCG映像がどんなもんか、見せてもらおうじゃないの。
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東京都現代美術館正面.jpg東京都現代美術館で、特撮ファンの心を震わせる展示会が10月8日まで開かれている。その名も『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』だ。庵野秀明とは、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野監督。CG登場以前の特撮技術が失われていくのを残念に思う庵野氏が、平成ガメラシリーズの樋口真嗣監督らと話し合う中で、この企画が生まれたそうだ。






幅60cm高さ40cmの部屋.jpg
主な展示品は、特撮映画などで使用された宇宙船やロケット、民家などのミニチュアの数々。流星人間ゾーンやトリプルファイターといった、かなりマニアックなヒーローのマスクや、ゴジラやガメラという2大怪獣スターの着ぐるみも間近で見られる。そしてこの展示会には、もう1つ大きな目玉があった。樋口監督が今回のためにメガホンを取った短編映画『巨神兵東京に現わる』だ。巨神兵とは、あの宮崎駿が漫画『風の谷のナウシカ』に登場させた巨大な人工生命体。紛争の調停者として生み出され、旧世界の文明を七日間で焼き尽くした。そんな巨神兵がある日突然、現代の東京に出現する。これが『巨神兵東京に現わる』の基本設定だ。
                          
                                                  幅60cm高さ40cmの部屋 

指示をする樋口監督(パネル).jpg上映時間約9分のこの映画に、CGは一切使用されていない。空から降下してくる巨神兵も破壊される東京の街も、コンピューターの中の仮想空間なら映像化は簡単だろう。しかしそれでは、特撮現場における職人技術のすばらしさを知ってもらおうという、今回の展示会の企画意図に反してしまう。従来どおり、ミニチュアなど実体があるものを使って撮影することに、意義があるのだ。その作業は、「先輩達が試行錯誤を繰り返した末に、新たな技術を開発し新たなイメージを手に入れた道程を、もう一度たどってみようという試み」(樋口監督)でもあった。


指示をする樋口監督(パネル)

CG以前の手法を採用するといっても、"昔は良かったね"とただ懐かしんでいるだけなどと勘違いしてはいけない。樋口監督の言葉からわかるように、「新しい技術」と「新しいイメージ」を手に入れようという前向きな姿勢が、この映画製作の根底にあるのだ。具体的な例をいくつも紹介するとネタばらしになってしまうので、ここで触れるのは1つ、巨神兵の動きに関する話だけにしておこう。

若い来場者も多かった.jpg従来、ミニチュアセットで暴れる怪獣などは、スーツアクターが着ぐるみに入って演じたが、今回は全く異なる方法が使われている。巨神兵は人間離れした細身の体に長い手足を持っているため、着ぐるみでは無理があるのだ。そこでパペット、つまり人形(人間大)が使われることとなる。通常パペットは、マリオネットのようにピアノ線で釣って動かす。しかし今回は、演じる人間の動きがそのまま再現できるロッド方式が採用された。巨神兵とその後ろに立つ演者の手足や頭が、ロッドと呼ばれる操作棒で連結され、演者が歩けば巨神兵も歩き、演者が首を右に向ければ巨神兵も首を右に向ける。このロッド方式なら、より自然な動きが出せるという。そうして着ぐるみには適さない体形を持つ巨神兵が、マリオネットでは難しい自然な動きを見せるという、特撮映像における「新しいイメージ」が現出することになるのだ。(合成技術を使い、演者とロッドが映像から消されることは言うまでもない)

ビルの裏を見ると、こんな文字が.jpg『巨神兵東京に現わる』の特撮映像はメイキングの種明かしを聞いたとき、「あれもミニチュアだったの!?」とか「あそこはCGだと思ってた」と、つい口に出してしまいそうなものが目白押しだ。昔の特撮作品に思い入れのない人であっても、東京が破壊される迫力満点のシーンにはついつい見入ってしまうに違いない。「昔ながらの手法でもここまでやれるんだ」ということを示してくれた樋口監督と現場スタッフに、僕は心から拍手を贈りたい。





ビルの裏を見ると、こんな文字が

ただしリアルさという点に関しては、CGが今後さらに質を高めていくことに疑いの余地はないだろう。予算の面からしても、古い特撮技法が活躍の場を奪われるのは時代の流れなのかもしれない。そう考えると、今回のような展示会が開かれるのは非常に意義深いことだし、それを見に行けたことは幸せなことだった。今回の展示会は、常設の特撮博物館ができないかというところから始まったらしい。財団化するのに何億もかかるなど様々な困難があるそうだが、いつか(僕が生きているうちに)それが実現することを祈ってやまない。

第31回:色つきの女と怪獣で
2012年07月26日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】イチローが電撃移籍!当日はたまたまMLB情報番組の仕事でNHKに入る日。僕が担当する「他試合の結果」コーナーなど飛んでしまうかと思ったけれど、意外といつもの番組構成でした。
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NCM_0195.JPG「女の子と怪獣はやっぱり色つきよね!」

これは『ウルトラマン』で科学特捜隊・フジアキコ隊員、そして『ウルトラQ』では毎日新報のカメラマン・江戸川由利子を演じた女優、桜井浩子さんが『総天然色ウルトラQ』を見た感想だ。『総天然色ウルトラQ』とは、モノクロだった『ウルトラQ』が最先端のデジタル技術で着色され、DVDとブルーレイで商品化されたものだ。

『ウルトラQ』の江戸川由利子は、いつも制服姿のフジ隊員と違って、さまざまなファッションで登場する。自前の服で出演したことも多かったそうで、きっとあれこれ考えながら衣装を選んだことだろう。でも残念なことにモノクロ映像では、彼女のおしゃれもよく伝わらない。カラー化された映像を見た桜井さんが、「やっぱり色つきよね」と思ったのは当然のことだろう。

怪獣の「色つき」に関してはどうだろうか。もともとカラー作品の『ウルトラマン』の場合は、全身が金色の怪獣や、頭に真紅の羽飾りがある怪獣などが登場。青い怪獣と赤い怪獣が激突する場面では、色のコントラストの面白さが味わえた。その数年後の『ウルトラマンA』になると、怪獣たちはまるでオモチャのようにカラフルになっていく。だけど、モノクロの『ウルトラQ』の怪獣たちには、当然ながら鮮やかな色彩の設定など必要ない。カラー化したとしても、『ウルトラマンA』と比べたら相当地味な仕上がりになっている可能性もある。しかし、たとえそうだとしても、画面でどんな色の怪獣が戦っているのか知りたくなるのがファンの性というものだ。

akenomyojo.JPGというわけで、先日、『ウルトラQ』カラー化を記念して開かれた『総天然色ウルトラQ』オールナイト上映会"たいせつなことはすべて怪獣がおしえてくれた"に足を運んだ。上映前のステージには、漫画家のみうらじゅん氏と映画評論家の町山智浩氏が登場。カラー化反対派の友人、泉麻人氏と飲み屋で激論を交わし、殴り合い寸前になったというみうら氏。確かに、カラー化には反対という人の声も根強い。「オリジナルに手を加えるとはけしからん」、「モノクロであるからこその良さがわかっていない」というのがその理由だ。ほかにもこのイベントでは、『ウルトラマン』のバルタン星人に流用されたケムール人の声は、もともと映画『マタンゴ』に登場する"キノコ人間"のものだったとか、画面に同時に登場する2体の怪獣(カネゴンやガラモン)着ぐるみは、実は1体しかなく映像が合成されているとか『ウルトラQ』にまつわるマニアックな話もたくさん聞くことができた。

今回上映されたのは、みうら氏と町山氏が選んだ10本。第1話『ゴメスを倒せ』や第13話『ガラダマ』など、どれも「『ウルトラQ』の代表作」と言ってもいいようなものばかりだ。内容はともかく、着色された映像がどうだったかというと、劇場のスクリーンで見る限り不自然さなど全く感じなかった。その出来栄えは、最初からカラー作品だったかのように思えてしまうほど。人の肌の色は多少黄色っぽいかなと思える場面もあるが、風船や車両など無機質なものの色付け具合は見事だった。全体的に色あせたような色調になっているのは、古い作品の雰囲気を出そうとしたためだろうか。それが結果として、不自然さを感じさせないことにつながったのかもしれない。

『ウルトラQ』カラー化のメリットとしては、映像のディテールがわかりやすくなったという意見がある。今回上映作品に選ばれた第15話『カネゴンの繭』には、朝起きたら怪獣になっていた少年が、小高い丘の上で途方に暮れるシーンがある。その時のバックは夕焼け空。哀愁を漂わせる場面の背景としては、定番中の定番だ。ところがモノクロ版『ウルトラQ』では、その演出効果は期待できない。当時の製作現場では、もしカラー映像であればと、歯がゆい思いがあったに違いない。カラー化は、その悔しさを晴らした形になっただろう。

当時の演出意図を読み違いさえしなければ、『総天然色ウルトラQ』は当時の製作スタッフへの敬意の表れと言っていいのかもしれない。そのような視点に立って見てみればいろいろ新しい発見ができそうで、モノクロ版と見比べてみるのも面白いだろう。

第24回:脚本家、市川森一
2012年01月06日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】今年は辰年。龍と言えばキングギドラ!でも残念ながら、キングギドラの年賀状など売ってないし、自分で作る技術もない。仕方なく普通の年賀状になった。
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市川森一氏が去年の12月に亡くなった。氏が特撮ヒーロー番組のシナリオ作家だったことを、今回のニュースで知ったという人も少なくないだろう。デビュー作は、ラーメン好きで愛らしい怪獣が騒動を巻き起こす『怪獣ブースカ』。それ以降『ウルトラセブン』、『帰ってきたウルトラマン』、『ウルトラマンA(エース)』の他、やはり特撮ヒーローものである『シルバー仮面』の脚本を手がけている。

この機会に、市川氏の作品を何本かまとめて見た。その中で、一番強く僕の印象に残ったのが、『ウルトラセブン』の第24話「北へ還れ!」だ。そのストーリーのあらましは・・・。

航空機同士の衝突事故を調査するため、ウルトラ警備隊のフルハシ隊員が出動。宇宙人が発する怪電波により、彼の乗った飛行機も操縦不能となってしまう。近づいてくる旅客機との正面衝突を避けるため、フルハシ隊員は自爆装置を起動させる。ところが脱出装置が動かず、絶体絶命の状況に陥った。そこに、基地にいたフルハシ隊員の母親から無線で通信が入る。たまたま田舎から出てきていた彼女には、息子の置かれた状況は知らされていない。フルハシ隊員は母親を心配させまいと、努めて明るく振舞う。一方、怪電波の発信源を突き止めたモロボシ・ダンは、ウルトラセブンに変身し宇宙人の乗った宇宙船を爆破。事件は解決し、フルハシ隊員は無事に帰還した。

10歳で母親を亡くし、継母にいじめられた経験を持つ市川氏は、自らを"家族が嫌いな作家"と呼んでいたという。評論家の切通理作氏は著作『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』の中で、そういったものが垣間見える作品を取り上げて解説している。しかし市川作品の中には、「北へ還れ!」のように、母と子の愛情がストレートに描かれたものもあった。息子に北海道の牧場を継いでもらいたいと願う母と、ウルトラ警備隊を辞める気が全くない息子。物語の冒頭、フルハシは母親が病気だからと妹にだまされ故郷に戻ったが、真相を知り逃げ帰ってくる。そんな彼でも、絶体絶命の状況に立たされた時、思わず口をついて出た言葉は"母さん"だった。

フルハシが帰還した時、母親はすでに基地を去り北海道に帰っていた。少し寂しそうな彼に対しキリヤマ隊長が粋な計らいを見せ、北海道上空のパトロールを命じる。フルハシは、故郷の空に偵察機を飛ばしながらこう言う。"フルハシより本部へ。北海道上空異常なし。夕日がとってもきれいだ。もう一回りして帰る"。そこには、少しでも長く母親の存在を感じていたい、という彼の想いが感じられる。

結局この物語の中で、フルハシ親子が直接会うことはなかった。2人は無線で言葉を交わしただけだ。僕はこの親子に、市川氏自身と亡くなった母親の姿が投影されているように思えてならない。市川氏は少年時代、天国の母親と会いたくても会うことはできなかった。きっと市川少年は、母の顔を思い描きながら、心の中で語りかけることもあっただろう。"お前、いま何をしているんだい"とフルハシの母は息子に尋ねる。市川少年も時に触れ、天国に向かって自分の近況を報告していたのではないだろうか。そしてそれは、成長し脚本家となってからも続いていたかもしれない。

ラストシーン、故郷の夕日を見て感傷に浸るフルハシは、母との思い出の場所を訪れている市川氏自身のようにも見える。かつて市川親子は、夕日を見ながら"きれいだね"と話したこともあっただろう。残念ながら、今となっては、誰もそれを確かめることはできない。でも、天国で再び一緒になれたであろう2人に、あれこれ詮索して思い出話を聞くのも野暮なことだ。他人が踏み込んで行くのが許される部分でもないだろうし。それに、そんな深読みをしなくても、「北へ還れ!」は十分心に響く佳作なのである。

第22回:スペシウム光線と一本足打法
2011年11月04日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】『カウボーイ&エイリアン』をなんだかんだ観てしまった。主演のダニエル・クレイグが超カッコいい。・・・それ以上は語るまい。
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特撮ヒーローには必殺技が欠かせない。その代名詞とも言えるのが、スペシウム光線だろう。初代ウルトラマンが使ったスペシウム光線は、当時その斬新なアイデアと映像上の魅力で、誰もが知る社会的認知度の高いものとなった。そして以降のウルトラシリーズでは、それをアレンジした技が多く登場する。

例えばシリーズ6作目、『ウルトラマンタロウ』のストリーム光線。6作目ともなるとアレンジも進み、技を繰り出す手順が複雑になっている。スペシウム光線ではサッと構えて光線が発射されたのだが、ストリーム光線は構えるまでに時間をかける。まず右手を高く上げてから、力を込めた両手のこぶしを体の両脇、腰の辺りへ。空手の正拳突きを出す時の構えを思い出してもらえればいい。すると空中にたくさんの光が発生。その中心にいるタロウに集まってくる。それはまるで、拳法家が気をためているかのようだ。そしてポーズをとって光線発射。

ためた力を一気に放出するという一連の動作は、何かに似ていないだろうか。僕が思い出すのは、"世界のホームラン王"王貞治のバッティングだ。右足を静かにスーと上げ、前に踏み出すと同時にバットを鋭く振りぬく。彼の一本足打法は、スポーツの動きを芸術の域にまで高めたものだが、それは姿勢の美しさのためだけではない。リズムの良さも関係している。「スー」で力をためて、一気に「ブンッ」。この「スー」の長さが絶妙で、「スゥゥゥゥ...、ブンッ」と長すぎれば間延びした感じになる。逆に「ス、ブンッ」と短ければ拍子抜けだし、スイングから感じられる力強さも半減してしまうだろう。

ここで再びウルトラマンの話に戻るが、あっさり発射してしまうスペシウム光線は面白みにかけるか、というとそうでもない。クライマックスの場面を盛り上げるのに十分な魅力があり、ストリーム光線を見た後でもつまらないと感じることはない。構えてから怪獣を倒すまでの流れを見れば、やはり王貞治の一本足打法のようなタメがあるからだ。

ウルトラマンが腕を十字にクロスし光線発射。それを浴びた怪獣が、火花を散らして爆発。擬音語で表現すれば「サッ、ビビビー、ドッカーン」。もし「サッ、ドカーン」だけだと、今ひとつリズムが面白くない。真ん中の「ビビビー」があるからこそ、最後の「ドカーン」が生きる。そしてそれが続く時間は長すぎもせず短すぎもせず、気持がいいと感じる長さ。つまり、この「ビビビー」こそ、一本足打法で王貞治が右足を挙げている時間に相当するのだ。

短すぎればタメの効果が出ないし、かといって長すぎれば間延びした感じになってしまう。スペシウム光線の映像を編集する際には、それこそフィルムのコマ単位でカットの長さを調整していたのではないだろうか。一本足打法もコンマ何秒かの狂いで、ホームランが打てなかったこともあっただろう。特撮番組でもスポーツでも、必殺技が最大の力を発揮するためにはリズムが重要なのだ。

第21回:光らない光線なんて!
2011年10月07日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】ラグビーのW杯もいよいよ準決勝。今大会こそは、"我が"オールブラックス(ニュージーランド)の優勝を見たい!
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前回、スペシウム光線について少し触れたが、"光線"や"光線技"という言葉は不思議だ。未来を予感させると同時に、昭和の匂いがプンプンと漂う。"光線銃"ともなると、特撮番組の映像に加えてオモチャ屋や駄菓子屋の風景まで目に浮かんできてしまう。

"光線"が魅力的だったのは、その威力もさることながら視覚的要素も大きかった。例えばスペシウム光線は、まばゆい光がキラキラとしてなんとも華やかだ。それはまさに、光の国から来たヒーローにふさわしい決め技。闇が悪を連想させる一方で、光は正義と結びつく。スペシウム光線がウルトラマンのイメージを形作るのに、どれだけ貢献したかは計り知れないものがあるだろう。

もちろん光線技は、ウルトラマンやウルトラ兄弟の専売特許ではない。円谷プロ以外が生み出したその他の特撮ヒーロー、例えばスペクトルマンやマグマ大使もそれを使った。しかし彼らの場合、光線とは名ばかり。光線なのに光らなかったのだ!それは撮影されたフィルム上に描かれた"絵"に過ぎず、色がべったりしていて、透明感も立体感もなかった。当然、スペシウム光線の持つ華やかさは皆無だ。

では、光輝くスペシウム光線はなぜ可能だったのか。それは、当時世界に2台しかないという最新鋭の光学処理機器があったからだ。その名はオプチカル・プリンター。それを使うことによって、撮影されたフィルムを他のフィルムに焼き付ける、つまり合成が可能になった。フェードインやフェードアウトのほか、二つの映像をクロスオーバーさせて場面を切り替えるなんていうこともできるらしい。

スペシウム光線の場合、詳しい撮影手順は資料が見つからずわからない。でも、いろいろな情報を元に足りない部分を想像すると、だいたい次のようなやり方だったのではないかと思われる。

まずは、手書きで光線を描く。そこに下から光を当て、光線に輝きを持たせる。これは透過光と呼ばれる手法で、アニメーションでもよく使われるものだ。発射された光線が進んでいく様子をひとコマずつ撮影すれば、スペシウム光線だけの映像が完成。そして、あの決めポーズをとっているウルトラマンの映像と合成する。僕らがTV画面で見た、クライマックスシーンの出来あがりだ。

オプチカル・プリンターは、その他にも様々な特撮場面を生み出した。"宇宙忍者"と異名をとるバルタン星人は、忍者の名に恥じず分身の術を使う。夜、暗い建物の中に現れ、科学特捜隊の隊員の目の前で何体にも分かれていく場面は、『ウルトラマン』屈指の名シーン。巨大化したあと一旦は倒されるものの、幽体離脱するかのように、もう1体のバルタン星人がそこから立ち上がる場面もあった。さすが、のちにウルトラマン最大のライバルと目されるようになった敵役だけのことはある。主役に負けないぐらい、オプチカル・プリンターの恩恵を大いに受けていたというわけだ。

第18回:スタジオの天井を見上げれば
2011年07月08日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】小説『ヒルクライマー』の作者は、アニメ『クラッシャージョー』を生んだ高千穂遥。早速、この小説に出てくる峠に挑んできたら、そこには「ヤマビル注意」の看板が!
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最近発見したのだが、「差」や「波」という漢字は怪獣に似ている。ツノと背中のギザギザのほか、尻尾もちゃんとあって。でも怪獣にしては尻尾が短い。やはり怪獣には立派な尻尾がなくては。その点「大」という漢字は見事だ。筆で力強く書かれた3画目は、まるでゴジラの尻尾のようではないか。

映画に登場するゴジラの尻尾は、まるで生き物のようにいつも動いている。ゴジラが歩く時も、だらしなくズルズルと引きずられることはない。もしそんな状態だったら、ゴジラの怪獣王としての威厳は一気に失せてしまうだろう。当然のことながらこの尻尾、着ぐるみ中に入っているスーツアクターでは動かすことができない。スタジオの天井から、ピアノ線で吊って操作するスタッフが必要だ。この作業は「操演」と呼ばれるが、かなりの技術が要求されたに違いない。

例えば、5~6人の操演スタッフが必要だったと言われるキングギドラ。3本の長い首は、先端にある頭部以外の場所も吊らないと、あのしなやかな動きは出せない。つまり1本の首にピアノ線が2本は必要となる。(機械仕掛けと思われる口もちゃんと開閉するので、首の動きと合わせると本物の生き物のようだ!)さらに尻尾は2本あり、巨大な翼まで持っている。翼はよくありがちな、スーツアクターが腕を入れてバッサバッサとやる形式ではなく、完全な操演によるもの。この尻尾と翼も、首と同じく常時動いている。いったいキングギドラという怪獣には、何本のピアノ線が取り付けられていたのだろうか。よくそれらが絡まらなかったものだと、思わずにはいられない。それにも増して全体で調和した動きを出すのは、かなり難しいことだったのではないだろうか。

極めつきは、ゴジラ映画『三大怪獣 地球最大の決戦』。この映画には、ゴジラの他にキングギドラとモスラ(幼虫)、ラドンという怪獣が登場する。クライマックスは、4匹全て揃っての格闘シーン。中央のキングギドラを挟む形で、画面左側にゴジラ、画面右側にラドンとモスラ。翼竜タイプのラドンは空中でホバリングしており、100パーセント操演によって動かされている。モスラはその背中に乗っているだけだが、口から糸を吐き続けている。実は、これも操演の仕事だ。いったいこのカットのために、何本のピアノ線と何人の操演スタッフが必要だったのだろう。スタッフのひとりひとりが生き物の動きを表現し、お互いのタイミングも合わせ、さらにピアノ線が絡まることがないように...。 リハーサル中、そして本番でもかなりの苦労があったことは想像に難くない。

第17回:怪獣も命がけ
2011年05月26日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】"Darwin's Radio"という人類進化をテーマにした科学ミステリーを読んだ。邦題は『ダーウィンの使者』。なぜ「Radio」→「使者」なのか、いまだによくわからない・・・。
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僕にはコスプレ願望がある。例えばダースベイダー。あのマスクをかぶり長いマントを翻らせながら、"Come to the dark side of the power!"とか"As you wish."なんて台詞を言ってみたい。セリフの合間に"シュコー、ハァー"と呼吸音を入れるのは言うまでもない。

着ぐるみに入って怪獣になるのも楽しそうだ。そして撮影現場に行って暴れてみたい。地中から現れセットのビルを壊したり、ミニチュアの戦闘機を叩き落したり。ガオーと言いながら砂場で砂の山を壊していた子供のころの夢が、その時ついに実現するのである。

でも着ぐるみの中に入るのは、素人が考えるほど楽しいものではなかったらしい。実際に中に入った役者に言わせると、無理やり狭いところに閉じ込められた気分になるそうだ。というのも、一旦着ぐるみを着ると自分ではそれを脱ぐことができないから。背中にあるチャックに手が届かないのだ。なにせ怪獣の着ぐるみは分厚い。いくら関節が柔らかい人でも、まず無理だろう。しかもチャックは見えたら困るので、上から怪獣の皮をかぶせてマジックテープで止めたりもしていたらしい。脱出の得意なマジシャンならともかく、普通の人はスタッフが手伝ってくれなければ一生怪獣として生きていかなければいけなくなる。

それだけならまだしも、撮影現場では大火傷の可能性もあった。セットを爆発させたり炎上させたりするために、たくさんの火薬が使われる。怪獣は攻撃を受けた時は、体のそこら中から火花が飛び散る。時には、火花が着ぐるみの中に入ってしまう、などということもあるそうだ。演じていた役者さんが熱さにもだえ苦しむ様子は、外から見ると迫真の演技としか映らなかったというから恐ろしい。かすかに助けを求める声が着ぐるみの中から聞こえてきて、ようやくスタッフも大変な事態になっていることに気づいたという。

さらには、命を落としかねない状況に陥ったこともあるらしい。例えば、怪獣が水中に落下するシーン。ただでさえ着ぐるみは重量があるが、その中に水が入ったりすると、鉛を背負ったように動けなくなるそうだ。水中でこんな状態になったら...。まさにマジシャンでなければ脱出不可能。誰かに引っ張り上げてもらわなければ、本当に命に関わってしまう。前回紹介したゴジラ役者の中島春雄氏も溺れかかった経験があるというし、他にも意識を失い人工呼吸で助けてもらった役者の話も聞く。画面やスクリーンの中の怪獣は生きるために必死だったけれど、その中に入っていた人間も同じく必死だったとは......何とも感慨深い。