第46回:王家の谷の静寂を乱したのは・・・
2014年03月26日
★「やさしいHAWAI' I」は、第47回よりこちらに移転しました。
written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)】1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近の私】昨年11月に予定していたハワイ旅行は、私の骨折でドタキャンに。状況が整い再び実行へ。ハワイで待っている日系二世、三世の方々にお会いできるのが、本当にうれしい。
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ヒロからハマクアコーストに沿って国道19号線をずっと北上すると、ホノカアという小さな町にたどり着く。ここは私にとって思い出深い町だ。10年ほど前、ハワイ大学のサマーセッションに参加した時のこと。昔ヒロに住んでいた時から大好きだったこの町をぶらりと訪れ、ハワイに関する古書を求めてアンティークショップに立ち寄った。その時、初めて会った店のオーナー、グレースからやさしいもてなしを受けた。それは私にとって大きな思い出となり、アロハスピリットの真髄を経験することになった(第34回参照)。
今回、グレースに会って、あの時の感謝の気持ちとして用意した小さなプレゼントを渡そうと思い、胸をときめかして行った彼女の店にはシャッターが下りていた。がっかりした私は隣のギャラリーで絵を描いていたハオレ(白人)の女性にグレースのことを尋ねた。すると彼女はインフルエンザに罹り、今日は店には来ないという。やむなくそのプレゼントを託し、ホノカアの町を後にした。
ホノカアからローカル道の240号線へ入って突き当りまでいくと、ワイピオ・バレーに着く。車を駐車場に置いて谷の縁まで歩いていくと、目の前に壮大な景色が広がる。
〔車窓から見たワイピオバレーの河口。ここから左奥へと谷は続く〕
ここはかつてのハワイ王族が生活していたと言われる谷だ。海に面した入り口は幅およそ1.5キロ、そこから山に向かって続く谷は奥行きおよそ10キロにわたる。その奥に多くの滝が流れているが、中でも最も有名なのがヒイラヴェという滝だ。この滝を歌った美しい歌がある。
この高さ600メートルにもなる深く切り込んだ谷は、傾斜が25度ほどあり、外敵は簡単には攻めてこられない。そのためワイピオバレーにはかつてのハワイの権力者たちが好んで居住し、「王家の谷」とも呼ばれていた。豊かな水源、肥えた土地はハワイの人々の主食となるタロイモの育成に適していたし、海からは多くの魚介類を容易に手に入れることができた。1778年キャプテンクックがハワイを発見し、白人がハワイに乗り込んでくる以前は、ハワイ島ではこのワイピオバレーが最も先住民の人口の多い地域だった。
今回、夫と私は念願のワイピオバレーを馬で散策するツアーに参加を申し込んでいた。ツアーメンバーは10名。私たちのほかは全員、屈強な体格をした白人ばかりだ。リーダーは、ルーズなGパンをはき、髪の毛が背中まで長い、話し方から動作まで典型的なかつてのヒッピースタイル。彼はメンバー確認をした後、4輪駆動のジープに皆を乗せていよいよワイピオ入りだ。
斜度45度もあろうかと感じる急な坂をジープは下って行く。無事谷の底に到着すると、そこには馬たちが待っていた。ヒッピーリーダーから馬の扱いとこれからの散策に関して、簡単な説明を受ける。そして各メンバーは馬をあてがわれるが、私を担当することになった馬は、どうも落ち着かない様子。馬はとても賢い動物で、乗馬経験のない私をバカにしていたに違いない。いよいよ出発となった時、彼は突然オシッコをしたのだ。馬のオシッコを直に見たのは初めて。まるでホースから大量の水を噴射するごとく・・・迫力があった。出す物を出すと少し落ち着いたようだが、それにしても言うことをきいてくれない。みんなが左に曲がるのに、彼だけが右へ行こうとする。みんながサッサと前進しているのに、彼だけ周辺の草をかじって文字通り道草を食う。
〔左:ホールライディングのツアーメンバー達。右:谷の奥にある滝から流れてくる水は本当に澄んで美しかった。馬はこの浅瀬の川も渡っていく〕
出発して間もなくのことだ。馬たちが突然騒がしくなった。何事が起ったのかと思っていると、ヒッピーリーダーが慌ててみんなに落ち着くようにと注意し始めた。彼が指差す先を見ると、そこには真っ黒なワイルドボアー(野生のイノシシ)がいるではないか。成獣は体長1メートル以上になるそうなので、これは子どもだろうが、馬は興奮して暴れだした。私の彼も小走りでボアーから逃げようとしたので、私は必死に手綱を放すまいとするが、緊張から脚が突っ張ってしまう。だがボアーは別に馬を追いかけるでもなく、ただ旅の道連れになりたいだけの様子。馬達は依然イラついてはいるが、徐々に予期せぬ同行者に慣れてきた。
しばらく進むと、タロイモ畑に流すための小さな溜め池があった。こともあろうにボアーは、その溜め池に入って行き、何と腰湯状態になったのだ。背中を向けたボアーは気持ち良さそうに、ややしばらく腰から下を水に漬けていた。
〔腰湯ならぬ、腰水のボアー。何とのどかな景色だろう〕
そんな慌しい中、私たちは徐々に谷の奥へと進んで行く。澄み切った空気を胸いっぱいに吸いながら、深く美しい緑、そして清らかな水の流れを目にし、何年ぶりかで命の洗濯をする思いだった。この谷には、人工的な音は一切聞こえてこない。日が昇れば目を覚まし、谷から流れる水を引いてタロイモ畑を作り、バナナの木を育て、ノニの実から薬を作り、日が沈めば床につく。ハワイ先住民の血を引く人々が静かに穏やかに、かつての生活を守って生きているのだ。
3時間も馬に乗っていれば、お互い(馬と私)気心も知れてくるというものだ。帰り道は何となく心が寄り添った?ような気がした。言うことはきちんと聞いてくれるし、聞いてくれれば、私はその度にたてがみを撫でてあげる。スタート地点に戻ったときには、すっかり人馬一体の気分で、日本に帰ったら、どこかの乗馬クラブにでも入ろうか、という気持ちにまでなったくらいだ。
ワイルド・ボアーの出現にもかかわらず、全員怪我もなく無事帰還。解散になりヒッピーリーダーにお礼に10ドルのチップを渡すと、彼は「いやー、君の乗馬はとっても上手だったよ」とほめてくれた。文字通り現金なコメントだった。