We are one

Chewing over TOP » We are one » 第19回:アボリジニの言葉に再び命を吹き込んだ日本人

第19回:アボリジニの言葉に再び命を吹き込んだ日本人
2012年09月19日

【written by メイソン千恵(めいそん・ちえ)】オーストラリア人の夫と共にブリスベンに在住。現在はオーストラリアの先住民、アボリジニを支援する団体「ノワカ」で活動中。驚きや感動を抱きながら、独特の文化と生活に触れている。
【最近の私】1歳3ヶ月の娘は、戸棚や引き出しなど家中の扉を開けては中のものを引っ張り出します。毎日、しまっては出しての繰り返し...。子供の成長の早さには日々驚かされます。
----------------------------------------------------------------------------------------
新聞.jpg先日部屋を整理していたら、ある新聞記事が出てきました。それは、消滅寸前の言語をアボリジニの人々に教える日本人男性についての話でした。

クイーンズランド州パーム島(Palm Island)のアボリジニ言語、ワルング語(Worrongo)は、1981年に最後の話し手・アルフ・パーマー(Alf Palmer/ワルング語名:ジンビルンガイ(Jinbilnggay))さんが死去。誰も話す人がいなくなりました。その言語を復活させようと立ち上がったのが、日本の国立国語研究所の言語学者であり、アボリジニ言語の専門家でもある角田太作さんです。

1970年代にオーストラリアに留学していた角田さんは、パーマーさんから伝統文化や狩猟に関する知識とともにワルング語を学び、これを修士論文としてまとめました。そして、最後のワルング語スピーカーであったパーマーさんが亡くなった後、角田さんは「日本人でありながら、世界でたった1人のワルング語が話せる人」となってしまったのです。

それからしばらくして、角田さんのもとにパーマーさんの孫であるレイチェル(Rachel)さんからワルング語を教えてほしいという連絡がありました。そして角田さんは再びパーム島を訪れることに。こうして約20年もの間、地元で誰にも話されることのなかったワルング語が復活することになったのです。

その後も角田さんは、大学で言語を教える妻・三枝さんの協力を得て、何度もパーム島に渡っては現地の人々にワルング語を教えています。角田さんが作ったワルング語の辞書や文法ガイドは、現在パーム島のアボリジニの子供たちの教育に使われていますが、その辞書を作ったのが日本人だと知って驚く人も多いのだそうです。

アボリジニ言語については、「単純で原始的なもの」と考えられていましたが、角田さんは「非常に系統的で洗練された言語である」と言います。そして、ワルング語を教えるときには、彼らの言語がどれほど素晴らしいものかを伝えようといつも心がけているということです。文法が複雑であるにもかかわらず、現地の人々は不思議とスムーズにこの言葉を習得しています。

アボリジニの人々はもともと文字を持たず、言語は口承で受け継がれてきました。オーストラリアには350から750の部族が存在し、それぞれに異なる言語を持っていました。しかし、現在では100ほどしか残っておらず、そのうち20余りを除いては、ほぼ消滅に近い状態です。そのような状況の中、角田さんの活動は、彼らの言語伝承に大きく貢献しています。言語はアボリジニの人々の間で文化や伝統を受け継ぐためにとても重要な役割を果たしており、またアイデンティティを保つために必要不可欠です。

「私がワルング語を話す最後の者だ。私が死ねば、この言葉も死ぬ。私の知るすべてをお前に教えるから、しっかりと残してほしい。(I am the last one to speak Worrongo. When I die this language will die. I will teach you everything I know, so put it down properly. )」というパーマーさんの言葉を忠実に実現した角田さん。同じ日本人としてとても誇りに思います。