第17回:ファントム島の隠された過去
2012年05月11日
【written by メイソン千恵(めいそん・ちえ)】オーストラリア人の夫と共にブリスベンに在住。現在はオーストラリアの先住民、アボリジニを支援する団体「ノワカ」で活動中。驚きや感動を抱きながら、独特の文化と生活に触れている。【最近の私】今日、ブリスベンにオープンしたモスバーガーのオープニングで、和太鼓を演奏してきました。すでにアジアではかなり展開しているというモスバーガーですが、オージーにはウケるのでしょうか...!?
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かつて感染率が高いとされていたハンセン病患者は、1907〜1959年まで、ブリスベンの離島、ピールアイランド(Peel Island)に送られていました。ここで白人の患者はそれぞれに家を与えられましたが、アボリジニの人々は掘っ建て小屋で大勢の人々とともに共同生活を余儀なくされます。さらに1939年頃、アボリジニは白人と同じ治療を受けるべきでないとして、政府がアボリジニの人々を本土からもっと遠い、北部のファントム島に隔離。この政策は73年頃まで続きました。ファントム島に送られた人々の手当てをしていたのは、医師ではなく、北アメリカから来た尼たち。実際はハンセン病に感染していないにもかかわらず、アボリジニというだけで送られた人も多く、彼らは病気ではないと診断されるまで、島に監禁されていたそうです。また、島から逃げようとするアボリジニの人々は、警察により手錠をかけられたり、鎖でつながれたりすることもあったほか、ファントム島に送られるまで1ヶ月以上もの間、本土の刑務所に入れられていた人々もいたと言います。
ジョーさんは7歳のときハンセン病と診断され、家族から無理やり引き離された後10年間、ファントム島に拘禁されていました。このドキュメンタリーの中で彼は、ファントム島の同窓会「Fantome Island Remembrance Day」を機に再び島を訪問し、島で生活を共にした友人やその家族との再会を果たします。2010年に初めて行われたこのイベントは、ファントム島の歴史や、そこで生活した人々を忘れないようにするためのものでもありました。ジョーさんは、尼たちが先生をしていたという掘っ建て小屋の小学校や、島で亡くなった人々のお墓などを訪れながら、島で最初に行われた結婚式のことやルール違反をした際の厳しい体罰のことなど、当時の様子を語ります。さまざまな経験をする中、ジョーさんは島で出会った女性・モーリー(Molly)との間に子供を授かります。さらにモーリーがハンセン病から回復。喜ばしいことが続きましたが、これにより、彼女はジョーさんより早くファントム島を離れることになってしまいます。モーリーはその後、「盗まれた世代」の政策の一部としてドミトリーに送られ、ジョーさんに会えない生活が続きます。ようやく2人が再会したのは、それから11年後のこと。しかし、喜びもつかの間、その後間もなくモーリーは亡くなったということです。また、2人の間に生まれた娘のデイジー(Daisy)は、モーリーがドミトリーに送られた後、親戚に引き取られ、33歳になるまでジョーさんに会うことはなかったそうです。
現在73歳のジョーさんは、このドキュメンタリーを通して、自分の子供や孫たちに自分のストーリーを知ってほしいと語っていました。「つらい思い出も多いけれど、ファントム島は自分の故郷だ」と言う彼。家族とはなれて暮らしていたジョーさんにとって、モーリーはもちろん、自分の身を削って手当てをしてくれた尼たち、兄弟のような友人たちや、親代わりになっていろいろなことを教えてくれた人たちは、かけがえのない大切な存在だったのでしょう。
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◆「ファントム島(Fantome Island)」オフィシャルサイト http://www.fantomeisland.com/