明けの明星が輝く空に

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第51回:昭和特撮2大悪役
2014年03月31日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】『進撃の巨人』が映画化される。メガホンをとるのは樋口真嗣監督。『巨神兵東京に
現る』で、ミニチュア特撮の神髄を見せてくれた監督だけに、昭和特撮ファンの僕ら
には期待できそう。
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ヒーロー番組の悪役は、刺激の強い香辛料に似ている。たとえば、四川風麻婆豆腐の山椒。実のところ、僕はあの舌が痺れる辛さが好きではない。だけど、全く入っていないと物足りない。ラーメンに入れるおろしニンニクには、魔性とも言うべき魅力がある。「口臭が...」と思いながら、ついつい多めに入れてしまう。
 
悪役には、癖になりそうな魅力がある。Chewing Overで『戦え!シネマッハ』を書いている鈴木純一さんも、悪役に魅了された一人だろう。同ブログ内のシリーズ「悪役を語るコラム」で、10人以上の悪役について書かれている。まだ登場していない悪役で僕が推すのは、ルトガー・ハウアーが『ブレードランナー』で演じたレプリカントだ。もし鈴木さんが書く予定だったら申し訳ないので、多くは語れないけれど、これだけは言わせてください。あのラストシーンのセリフ、カッコ良すぎますって!ね、鈴木さん。
 
特撮番組で印象に残る悪役といえば、タイガージョーとハカイダーだ。前者は、特撮時代劇『快傑ライオン丸』に登場する隻眼の剣士。後者は、この5月に新作映画が公開予定の『人造人間キカイダー』に登場するアンドロイド。ともにヒーローに負けない強さを誇り、昭和の特撮ファンの間で人気が高い。
 
タイガージョーのモチーフは、もちろんトラだ。ライオンにとって最大のライバルを持ってきたところに、制作サイドの意図が窺える。つまり、ライオン丸とタイガージョーを同等、あるいはそれに近い存在として描こうということだろう。両者が名乗りを上げる場面にも、それは表れている。ライオン丸の口上が「ライオン丸、見参!」なのに対して、タイガージョーは「タイガージョー、推参!」だった。
 
柳生十兵衛や丹下左膳と同じ隻眼という設定も、タイガージョーを魅力的に見せようとする工夫だろうか。手負いの戦士は、歴戦の勇者という雰囲気があって強そうだ。さらにタイガージョーは、悪役には珍しくテーマ曲を持っていた。ギターの伴奏で口笛が奏でるウェスタン調のメロディーは、どこか哀しさが漂う。やがて彼に訪れる悲劇を、暗示するかのように...。
 
いわゆるカッコ良さでは、ハカイダーも負けてはいない。黒を基調とした悪役らしいデザインは、見た目からして強そうだ。逆に愛車のオートバイは白で、その名も"白いカラス"。あえて黒にせず、そしてこのネーミング!誰の命名かわからないが、シャレているではないか。また、ハカイダーはダーティーハリー顔負けの破壊力を持つ、ハカイダーショットという大型銃を持つが、刀にしろ銃にしろ、男の子は武器が大好きだ。ブルース・リーがヌンチャクを使っていなかったら、果たしてあれほど人気が出ただろうか。
 
ハカイダーには、テーマソングがあった。キカイダーを倒すことが俺の使命と、明快に自分の存在意義を歌う。タイガージョーのテーマ曲とは対照的に、勇壮な雰囲気のメロディーだった。特にトランペットとドラムの奏でるイントロが秀逸で、ヒーローのテーマソングにもなってもおかしくないほど。ハカイダーに込められた制作者の思いが、そこからも読み取れる。
 
タイガージョーとハカイダーには、もうひとつ共通点がある。彼らの最大の魅力とも言えるそれは、信念に基づいて己の目的を追求し続けたことだ。タイガージョーはもともと、剣の道を究めんとする武士だった。たとえ邪剣と言われようが、勝った者が強いのだと信じ、悪に魂を売ってタイガージョーとなる。彼がライオン丸と戦ったのは、自分の強さを証明するためでしかなかった。ハカイダーも、それによく似ている。彼が受けた指令はただ一つ、「キカイダーを破壊せよ」。それ以外のことは、眼中になかった。2人の頭の中には、人類に不幸をもたらそうなどという邪悪な概念はないのだ。それどころか、タイガージョーは卑怯な戦い方を嫌ったし、ハカイダーも汚い手を使おうとした仲間の作戦を妨害した。そして、ともに組織から裏切り者とみなされ、非業の最期を迎えてしまう。
 
タイガージョーとハカイダーは、厳密には悪役とは呼べないかもしれない。むしろ、花形満や力石徹のような、好敵手と呼ばれる存在に近いだろう。どちらにしても、彼らのおかげでストーリーが広がり、より作品が面白くなったことは疑いもない。新作映画『キカイダー REBOOT』のハカイダーにも、大いに期待したい。

第46回:怪獣への愛はあるか
2013年11月01日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】仕事がらみで、"ライブ&朝食付き皇居ランニング"に参加した。初めての皇居ランだったが、多摩川の方がずっといいと思った。ちなみに、日比谷茶廊でのライブはステキだった。
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先日、数人の仕事仲間が、前回このブログで取り上げた映画『パシフィックリム』について話していた。おおむね肯定的な彼らの感想を聞きながら、「わかっとらんねー、キミたち」と思いつつも、作業中だった僕はそのまま聞き流した。しかし、このブログでは黙っているわけにはいかない。そういう人たちにわかってもらうのが、『明けの明星が輝く空に』の使命なのだから。

ということで今回も、『パシフィックリム』について書こうと思う。この映画は前回触れたように、日本の特撮へのオマージュである。だけど、ゴジラやウルトラマンで育った僕からすると、重要な部分が欠けているように思う。『パシフィックリム』に足りないのは、ズバリ、怪獣への愛だ。愛が足りないから、怪獣が魅力的に描けていない。では、怪獣の魅力とは何なのか?それは、その大きさと恐ろしさがもたらす迫力だ。

実は『パシフィックリム』の怪獣たちは、かなり巨大な生物として設定されている。彼らが襲った市街地の建物と比較すれば、それは一目瞭然だ。怪獣の全身がスクリーンに入りきらないようにするなど、大きさを強調する演出も見られた。それなのに、僕には大きさを感じることはできなかった。

今では主流になった、CG製のモンスターたち。彼らは、スクリーンの中で素早く動き回ってみせる。動きに制約がなくなったのはいいことだけれど、大きさを表現するには逆効果だろう。大きいものは、ゆっくり動いて見えるものだからだ。そういった意味で、CGモンスターと対照的な例として、『ゴーストバスターズ』の巨大マシュマロマンが挙げられる。夜のニューヨークに、突如として現れるあのシーン。「見た目はかわいいのに、あんなデカイものが歩いてきたら怖いよなー」と思わせるような、なんとも言えない迫力があった。

かつて日本の特撮作品では、ハイスピード撮影を使用していた。映像をスローモーションにして、暴れる怪獣や崩れ落ちるビル、港に押し寄せる大波などに、巨大さや重量感を出すためだ。ゴジラがビルを破壊するシーンも、ウルトラマンが怪獣を投げ飛ばすシーンも、スローモーションだからこそ迫力が出る。逆に、もし撮影現場のゴジラを見たら、動きがせわしなくて、「ああ、怪獣王の威厳よ、どこへ?」と嘆きたくなるだろう。撮影現場のゴジラは、『鶴の恩返し』の鶴と同じく、働いている姿を決して見てはいけないのだ。

大きさと迫力を表現するには、動きを遅くすること以外に、人の目線から描くことも重要だと思う。『パシフィックリム』では、ロボットに乗り込んだ人間の目線で怪獣を見ることが多かったが、それでは臨場感に乏しい(注釈)。もっと生身の人間が、怪獣と対峙しなければ。たとえばガメラと並ぶ大映の特撮映画『大魔神』の大魔神は、身長がせいぜい2階建ての家ぐらいしかない。それでも、足音を響かせながら近づいてくる姿は、砦に立てこもった悪人たちの側から見ると、"凄み"と言えるほどの迫力に満ちている。秀逸なのは、顔と同じ高さにある櫓の前に差し掛かった場面。櫓の上には、逃げ遅れた男たち。ふいに立ち止まった大魔神が、ゆっくりと顔をそちらに向ける。このシーンで僕は、まるで自分が大魔神に見つかったような錯覚に陥って、背筋がゾクゾクしてしまう。

『パシフィックリム』には、怪獣の迫力を演出する上で、惜しいなと思った箇所がある。市街地を守る巨大な壁を、怪獣が突破するシーンだ。残念なことに、壁は実にあっけなく壊されてしまう。ある程度攻撃に耐えてこそスリルが味わえるし、強固なところを見せてからのほうが、それを破壊する怪獣の恐ろしさも強調できるだろう(僕はこれを"城壁効果"と呼ぶことにした)。その点、このブログの第44回で触れた漫画『進撃の巨人』は、町を守る城壁の存在が生きている。城壁を破って町中に人食い巨人が侵入してきたときの戦慄。城壁のおかげで安全だったはずの空間が侵されるわけだから、恐怖感は倍増する。SF映画の古典『禁断の惑星』には、鋼鉄の壁が怪獣の力でどんどん変形していく場面がある。アフリカ象ぐらいの大きさしかないミニ怪獣だったが、その10倍はありそうな『パシフィックリム』の怪獣たちより、怖さという点ではずっと上だった。

冒頭に触れた仕事仲間たちが、もし今回のブログ記事を読んだら、果たしてどういう感想を持つだろうか。チャンスがあれば、読んでもらうよう言ってみることにしよう。

注釈
実は『パシフィックリム』にも、芦田愛菜ちゃん演じる少女が怪獣に追われ、物陰に隠れるシーンがあった。恐怖を演出するにはもってこいの状況だけど、なぜか『大魔神』ほどのスリルは感じなかった。「もしかしたら愛菜ちゃんだけ見ていて、映像全体を見ていなかったせいじゃいないの?」と突っ込まれたら、反論はできないかもしれない...。

第44回:食べられる恐怖
2013年09月06日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】日本橋三越であったウルトラセブン展で、展示会限定ポスターを注文しました。ファンにはたまらない絵柄です。僕が死んだら、棺おけに入れてもらいたいです。
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漫画『進撃の巨人』がアニメ化され、人気を呼んでいる。そんな新聞記事を目にして、さっそく漫画を読んでみた。『進撃の巨人』は、城壁に囲まれた中世ヨーロッパ風の町に暮らす人々と、彼らを襲って捕食する巨人たちとの戦いを描いた物語だ。作品がヒットした理由はいくつかあるだろうけれど、僕が注目したいのは、"人が食べられる恐怖"が描かれていることだった。

"食べられる"ことに対する恐怖は、生き物にとって根源的なものだろう。生命の発生と同時に、弱肉強食の原理は始まった。人類のDNAにも、その恐怖はきっと刻み込まれているにちがいない。これは僕の勝手な想像だけれど、熊に襲われて食べられることと、銃で撃たれること、どちらがより怖いかと聞かれたら、ほとんどの人は前者だと答えるんじゃないだろうか。

人間の心の奥底にある、食べられることに対する恐怖心。僕がそんなことを意識したのは、映画『ジュラシックパーク』を観たときだった。肉食恐竜の親玉とも言うべきティラノサウルスが、トイレに隠れていた男を頭からガブリとやるシーン。決して凄惨な作りの映像ではなく、むしろユーモラスな雰囲気さえ漂う場面だったけれど、僕は体の芯のほうで寒気がした。『ジュラシックパーク』の監督は、スティーブン・スピルバーグだ。そういえば彼は、『ジョーズ』でも食べられることの恐怖を描いていた。物語の終盤でクイント船長が食われるシーンは、いま思い出してもゾッとする。僕の記憶違いでなければ、あの場面は確かBGMがまったく流れていない。ただ物がぶつかる音や、船長の声がするだけ。それが生々しさを強調していたように思う。

日本の特撮作品の場合、怪獣が人を食べる場面はあまり記憶にない。映画でもテレビ番組でも、子どもたちがターゲットの作品が多いのだから、それは当然のことだろう。人が食べられるなどという場面は、子どもたちにとって怖すぎる。へたをすれば、トラウマを残してしまうもしれない。

とはいえ、人食い怪獣がまったくいないわけでもはない。たとえば昭和のガメラシリーズ、『ガメラ対ギャオス』のギャオス。山中での初登場シーンで男を1人飲み込んでしまうし、その後都会を襲ったときには、数人の男女を一度に食べてしまった。ただし『ジュラシックパーク』などとは違って、人が食べられるその瞬間は見せていない。人とギャオスの顔が合成されたカットの次は、ただ極端なアップで、パクパクと動いているギャオスの口元を見せるだけ。牙に血が付いていたりといった細かい演出もない。これではさすがに映像を省きすぎで、当時の子どもたちには何が起こったか理解できなかったんじゃないだろうか。実際、僕自身、"ギャオスは人食い怪獣だ"という印象がない。

反対に、人が食べられる場面が強い印象を残す特撮作品もある。東宝映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダとガイラ』だ。サンダとガイラは、怪獣サイズにまで巨大化した人造人間。ガイラの方は、なぜか人肉が好きらしい。漁船を襲い、泳いで逃げようとする猟師たちを追ってくるシーンがあるのだが、その姿は鬼気迫るものがあって背筋が冷たくなる。その後ガイラは羽田空港に現れ、ビルの窓から手を突っ込んで女性を鷲づかみにし、頭の方からかじり付く。口をムシャムシャさせた後、何かをペッと吐き出すあたり、妙にリアリティがあって怖い。そのアイデアを思いついたのは監督か、それともスーツアクターか。どちらにしても、あのワンアクションがあるかないかで、怖さの度合いはかなり違ってくるだろう。

『進撃の巨人』は、実写で映画化される話が出ているそうだ。巨人が人を食べるシーンは、どんな映像になるのか。非常に興味を引かれるところだけれども、僕個人的な好みを言わせてもらえれば、スプラッター調にはしてほしくない。最近ありがちな、CGの使いすぎでごちゃごちゃした映像もカンベンだ。どちらにしても、映画化の実現をぜひ期待したい。

第43回:顔の変わるヒーローと怪獣
2013年08月02日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】巨大ロボットが怪獣を退治するハリウッド映画が公開される。怪獣はCMで見る限りでは面白みのないデザイン。いかに初期のウルトラ怪獣が、独創性に富んでいたかが分かる。
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子どものころ読んでいた漫画に『750ライダー』がある。ちょっとハードな学園ものだったけれど、いつのまにかラブコメに路線変更。登場人物たちも能天気な顔に変わってしまい、ガッカリした記憶がある。

特撮モノでも、顔が変わるのは珍しくない。たとえば有名なのがウルトラマン。実はウルトラマンは撮影の使用順に、Aタイプ、Bタイプ、Cタイプと呼ばれる3種類のマスクが存在する。Aタイプは、つり目がちな印象で、口の周りにしわが寄っている。このしわは、口が開閉式になっていたためで、デザイン的に意図されたものではない。また、他の部位も材質の関係上微妙にデコボコしていた。Bタイプはそのあたりが改善され、つるんとした卵のような美肌になった。Aタイプと同じ型から製作されたので、顔の形自体は変わらないはずだけれど、マスク表面の質感のせいか、ずっと端正な顔立ちになったように感じる。そして最後のCタイプだが、これはBタイプとよく似ている。ちょっと見ただけでは区別できない。あらためて画像を並べてみると、口幅が少し広がり、目と口の距離が少し狭まって見える。また顔全体がやや丸みを増したようで、細面だったAタイプに比べると、優しい感じがするウルトラマンだ。

日本特撮界を代表する怪獣も、顔が変化している。ガメラの顔は昭和シリーズでは明確な変化はないが、平成三部作では大きく異なる。まず第1作目『ガメラ 大怪獣空中決戦』では目がくりっと大きく、頭部も丸みを帯びていて、怪獣とは思えないほど愛嬌があった。そのままキャラクター商品にしてもいいぐらいだ。それが第2作『ガメラ2 レギオン襲来』になるとシャープな顔立ちとなり、さらに第3作『ガメラ3 邪神覚醒』では凶悪な面構えに。一番の特徴は目だ。小さくとも鋭い光を放つ目。"アブナイ奴"といった雰囲気さえ漂わせている。頭の真ん中や目の上に並ぶギザギザとあいまって、実に好戦的な印象だ。ガメラは人類の味方ではあるけれど、あんな巨大な怪獣が街中で戦えば、どうしても物的・人的被害が出る。要するに、その点においてはガメラも十分人間の脅威だ。『ガメラ3~』はそこの部分をきっちり描いているが、ガメラもそれにふさわしいビジュアルを与えられたということなのだろう。

一方ゴジラは、昭和シリーズのころから、いろいろな顔が存在した。3作目『キングコング対ゴジラ』の"キンゴジ"や、4作目『モスラ対ゴジラ』の"モスゴジ" は、ファンの間で人気が高い。前者は目から鼻先までの距離が長く、横顔がイケメンだ。後者は眉の部分や頬が厚ぼったく、顔を腫らしたボクサーのような印象。それだけに、得もいえぬ凄みを漂わせている。

しかし昭和シリーズも後半になると、ゴジラは顔全体が丸くなり目も大きくなって、愛らしささえ感じさせるものに変わった。たとえて言うなら、シェパードやブルドッグから、ポメラニアンに変わったというぐらいの変化だ。それには理由がある。当時ゴジラは、当初のような人類の脅威ではなく、地球を守ってくれる正義のヒーローに変わっていたのだ。またゴジラ映画は、親子で楽しめるファミリー路線に舵を切っていた。この日本の怪獣王には、恐さよりも親しみやすさが求められたのだろう。

それが9年のブランクを経て、シリーズ第16作『ゴジラ』で再び映画館に帰ってきたときには、グッと相手を睨みつける悪役顔になっていた。再び人類の脅威として描かれることになったゴジラは、最終作である第28作『ゴジラ FINAL WARS』まで、一貫して睨みを利かせた顔だ。第26作の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』にいたっては、凶暴性を強調するため、瞳のない白目のゴジラも登場している。

異なった顔のゴジラが多数存在するのは、それだけシリーズが長いにほかならない。シリーズが長いということはつまり、人気が続いたということでもある。第28作をもってゴジラシリーズは終了とされているが、きっといつかスクリーンに帰ってくるだろう。そのとき日本が誇る怪獣王は、どんな顔になっているのだろうか。楽しみに待つことにしよう。

第39回:ヒロインならではのアクション
2013年03月28日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】巨大ロボットが怪獣と戦うという、ハリウッド映画ができたらしい。期待していいものかどうか。やっぱり微妙なんだろうな・・・。
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最近のハリウッド映画には、華麗なアクションを見せるヒロインたちがいる。彼女らのような軽やかさや優雅さを押し出したアクションは、見ていてとても気持ちがいい。僕は日本の特撮番組も、もっとそういった要素を取り入れるべきなんじゃないだろうか、と思うことがある。

例えば、『アイアンマン2』に登場したエージェント・ロマノフ。相手の首に足をからめ、そこを軸に体を振り子のように振って投げ飛ばす。流れるような動きで敵をいともたやすく倒してみせる姿は、実にカッコいい。他にも、バイオハザードシリーズの主人公アリスや『ダークナイトライジング』のセリーナ(キャットウーマン)、『イーオン・フラックス』のイーオン・フラックスなど、みな美しいアクションで、見ている者を楽しませてくれる。彼女たちを評するのに、「男勝り」という言葉は適切ではないだろう。なぜなら、筋力を誇示するような男性的な戦い方とは、そもそも方向性が違うからだ。

我らが日本の特撮番組にも、戦うヒロインはいる。『キカイダー01』のビジンダーに始まり、『仮面ライダーストロンガー』の電波人間タックル、『宇宙刑事シャイダー』のアニーなど。そこにスーパー戦隊シリーズの女性戦士たちを含めれば、かなりの数に上るだろう。ただ彼女たちのアクションは、男性ヒーローのそれと本質的に変わらない。同じようなパンチやキックを駆使して敵を倒す。彼女たちは男と同じように戦えると見せることで、ヒーロー番組における存在価値を証明しようとしてきたのかもしれない。

そんな中、期待を持たせるヒロインが登場してきた。それは、スーパー戦隊シリーズの新番組『獣電戦隊キョウリュウジャー』のキョウリュウピンクだ。彼女は複数の敵を相手に、軽やかで女性らしいアクションを見せてくれた。まず1人目の敵には、高くジャンプしてから、まっすぐ振り上げた右足をそのまま落とす踵落とし。そして着地と同時に再び跳び上がり、両サイドの敵2人に開脚キック。踵落しは、膝を伸ばして上げた姿が、チアガールやダンサーのハイキックに似ている。2つ目の技は、もうそのままチアガールの開脚ジャンプだ。楽しそうに「エーイ」と声をあげながら、これらの技を繰り出すキョウリュウピンク。ハリウッドのヒロインのようなクールな美しさとは違うけれど、特撮番組のアクションの新しい方向性を示しているかもしれない。

女性が主人公では男の子に受けない、という心配する人がいる。だけどそれは要らぬ心配というものだ。『サインはV』は男の子も見ていたし、ほかにも『魔法使いサリーちゃん』や『アタックNo.1』、『キューティーハニー』など、男の子に受け入れられたアニメ作品は数多いではないか。ヒロインのアクションによって、特撮ものは新たな地平を切り開くことができる。僕は最近、まじめにそう考えている。

第37回:大人向けの『仮面ライダー』は可能か
2013年02月01日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】再びエヴァンゲリオンの謎解きにはまっている。解釈本を読んだりしていると、脳細胞が喜んでいる気がした。人は頭をひねると、快楽物質が分泌されるのかもしれない。
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年が明け、辰年から巳年になった。ヘビと特撮といえばやはり、ホラー色が強い初期の『仮面ライダー』を代表する怪人・コブラ男だろう。怪奇な雰囲気をたっぷりと漂わせる一方、犬に吠えられて逃げ去るという情けない一面も持っている。そんなコブラ男であるが、2005年の劇場映画『仮面ライダー The First』(以下『The First』)では、ライダーを圧倒するような強さを持って登場。デザインも一新され、かなりスタイリッシュになった。

『The First』は物語としての原点に立ち帰り、大人の観客をターゲットに作られた、『仮面ライダー』のリメイク版だ。コブラ男だけでなく、ライダーや他の改造人間のデザイン・設定にも、大人向けであることが見て取れる。彼らは改造人間だが、外見は普通の人間のまま。任務遂行の際に特殊なマスクをかぶることになっている。そのマスクはロボット的なデザインで、全身を包むレザーのコンバットスーツ同様、黒を基調とした色でまとめあげられ、実にシャープな印象だ。

ライダーが「マスクをかぶる」。これは、テレビシリーズの原作者、石ノ森章太郎氏による漫画『仮面ライダー』(テレビシリーズと同時期に執筆が進められたもので、いわゆる"原作"ではない)でも同じ設定だった。テレビ版のように、ジャンプして瞬時に姿を変える「変身」とは違う。何歳ぐらいのときだったか忘れたが、僕は漫画版の方がより"リアル"だと感じたことを覚えている。子どもだった僕もいつからか、特撮ヒーローの変身にはどこか無理があると感じていたからだろう。

リアルだと感じられること。これは、フィクションが大人に受け入れられてもらえるかどうか考える上で、重要なことだと思う。特撮ヒーローの変身について、番組内で科学的根拠が示されることはまずない。しかしそれでは、大人の観客や視聴者を納得させることは難しい。マスクをかぶるという無理のない設定にした点において、『The First』は確かに、大人向けの作品を目指したと言っていいだろう。

だが残念なのは、首から上に限れば、でしかなかった点だ。主人公の本郷猛が、仮面ライダーに姿を変えるシーンを再現してみよう。敵を前にした本郷猛が、腰のあたりに手をやる。そこをカメラがアップで抜くと、いつの間にか腰にはライダーベルト。その真ん中に仕込まれた風車が、高速で回転を始める。続くカットで、すでにライダースーツ姿になっている本郷猛が、マスクを装着する。

最後のカットは、肩の下あたりまでしか見せていない。それに加え、マスクをかぶるという動作に注意が向くので、ライダースーツに変わったことはあまり気づかれないような演出になっている。ただし、その効果は一時的でしかないだろう。誰しも見ているうちに、「そういえば、ライダースーツはいつ着たんだ?」という疑問が湧いてくるだろう。どう考えても着替える暇などない。本郷猛の首から下には、一瞬で説明のつかない変化が起こった。つまり、変身したのだ。これでは、マスクをかぶるという設定にした意味が、なくなってしまうではないか。

ただ変身というものは、良くも悪くも日本型特撮ヒーローの基本だ。それを捨てることは、特撮番組を否定することになるかもしれない。仮面ライダーから変身を奪ったら、それはもう仮面ライダーではない。そんな考えが、『The First』の作り手にあったのだろうか。あるいは、昔からのファンによる批判が予想され、それを避けようとしたためだろうか。どちらにせよ、『The First』は変身を捨て切ることができなかった。

では変身を残したまま、大人向けの仮面ライダーを作ることは、果たして可能だろうか。僕には、ファンタジーにしてしまうことぐらいしかアイデアが出てこない。ファンタジー映画なら、ドラゴンが火を吹いたり魔法の呪文で蛇を出したり、何でもありだ。誰もそこに、科学的根拠などは求めない。それなら、「変身」という掛け声とともにジャンプしている間に、人間が仮面ライダーに姿を変えたっていいはずだ。ただし、いくらファンタジーとは言っても、愛車のオートバイの代わりに空飛ぶほうきに乗って登場することだけはやめてもらいたいが・・・。

第35回:声も重要な要素
2012年11月29日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】11月25日に第1回富士山マラソン参加。この大会の売りは、"日本一トイレが多い"だそうだ(笑)。でもそれ以上に、富士山と湖の景色に紅葉まで楽しめて、たぶん日本一美しいコースではないかと思う。
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『スター・ウォーズ』シリーズの新作が制作されるそうだ。楽しみだと感じる反面、「ダース・ベイダーのいない『スター・ウォーズ』に何の魅力が?」と僕なんかは思ってしまったりもする。

『スター・ウォーズ』と言えば、やっぱりダース・ベイダーだろう。黒のスーツとマントに包んだ身長2mという巨躯。堂々と威厳に満ちた態度。そんじょそこらの安っぽい悪役とは一線を画していた。そして忘れてはいけないのが、俳優ジェームズ・アール・ジョーンズが担当した、重低音で響くあの声だ。学生時代に芝居をやっていた僕にとって、ダース・ベイダーの声は憧れだった。"As you wish."や、"Come to the dark side of the power."といった台詞を、何度風呂場でマネしたことだろう。僕はその後、曲がりなりにも放送通訳という仕事に携わり、自分の声がテレビから流れるようになった。そして学生時代を思い出し、秘かにダース・ベイダーの声を目指して発声練習したものだ。

そんなダース・ベイダーも、日本語版ではかなりイメージが違う。吹き替えは、『科学忍者隊ガッチャマン』の南部博士や『ハクション大魔王』のハクション大魔王の声を演じた声優、大平透氏。『マグマ大使』では悪の親玉ゴアの声も演じているから、悪役の雰囲気という点では十分なのだが、どこか安っぽさみたいなものを感じてしまう。今にもダース・ベイダーがハクション大魔王よろしく猫背になって、マスクの下から「グフフ」と笑い声が漏れてきそうなのだ。

だけど20数年前に、『スター・ウォーズ』が初めてテレビで放映された時、日本語版ダース・ベイダーの声は違っていた。演じたのは俳優の鈴木瑞穂氏。オリジナルほど重厚な響きはないが、品格を感じさせる声質と語り口が印象的だ。僕はこの鈴木版ベイダーが好きなのだが、どういうわけかテレビ以外では聞けないらしい。鈴木版は大平版と比べると、悪役っぽさが足りない気がするので、そのあたりが理由なんじゃないだろうか。

声が印象的といえば、『ウルトラマン』に登場するメフィラス星人。声優は『巨人の星』の星一徹役で知られる加藤清三氏だ。ジェームズ・アール・ジョーンズのように重低音が響くというわけではないが、あの声には子供たちを震え上がらせる威圧感がある。なんせちゃぶ台を引っくり返す頑固親父に、これ以上の適役はいないというぐらいの声なのだ。ただしメフィラスは、武力行使せずに地球を手に入れようとした知性派タイプの宇宙人。ウルトラマンと互角の戦いを演じた上、「よそう。宇宙人同士が戦っても仕方がない」と自ら戦いをやめて宇宙へと帰ってしまう。その引き際のスマートさは、頭に血が上って暴れまくる凶暴宇宙人たちとは明らかに違っていた。でも、もし声の質もその設定に合うものだったら...。そう考えると少し残念な気がする。ちなみにメフィラスは、ウルトラシリーズ45周年を記念して発表された、怪獣・宇宙人の人気ランキングで15位。声がもっとスマートだったら、トップ10も夢ではなかったに違いない。

人気ではメフィラスに次ぐ16位にランクされているのが、『ウルトラセブン』のメトロン星人だ。このブログの第7回と第8回で取り上げた実相寺昭雄監督には、「長靴のお化け」と形容されてしまったが、実は姿に似合わない甘い声の持ち主で、話し方も知的だった。メフィラス同様に知性派タイプであるこの侵略宇宙人の声を担当したのは、ドラマ『特捜最前線』のナレーター、中江真司氏。特撮ファンには、『仮面ライダー』のナレーターと言った方がわかりやすいだろう。「本郷猛は改造人間である」で始まる番組オープニングのナレーション、あの声が中江氏だ。メトロン星人が登場する回はシュールなちゃぶ台のシーンが有名だけれど、そのしゃべりと見た目とのアンバランスさも、不可思議な映像空間を生み出すのに一役買っていた。

果たして新作の『スター・ウォーズ』には、ダース・ベイダーのように魅力的な声を持ったキャラクターが登場するだろうか。実は、ひとつ心配なことがある。それは映画を制作するルーカスフィルムが、ディズニーに買収されたという点。まさかとは思うけれど、映画が始まってみたら、世界で一番有名なネズミのような声が劇場内に響き渡った・・・。こんなことがないよう祈りたい。

第32回:失われゆく(?)技
2012年08月31日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】『ダークナイト・ライジング』を観た。『プロメテウス』も観ないと。他に『遊星からの物体X』、『バイオハザード』、アメリカ版『ゴジラ』の新作もあるらしい。最新のCG映像がどんなもんか、見せてもらおうじゃないの。
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東京都現代美術館正面.jpg東京都現代美術館で、特撮ファンの心を震わせる展示会が10月8日まで開かれている。その名も『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』だ。庵野秀明とは、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野監督。CG登場以前の特撮技術が失われていくのを残念に思う庵野氏が、平成ガメラシリーズの樋口真嗣監督らと話し合う中で、この企画が生まれたそうだ。






幅60cm高さ40cmの部屋.jpg
主な展示品は、特撮映画などで使用された宇宙船やロケット、民家などのミニチュアの数々。流星人間ゾーンやトリプルファイターといった、かなりマニアックなヒーローのマスクや、ゴジラやガメラという2大怪獣スターの着ぐるみも間近で見られる。そしてこの展示会には、もう1つ大きな目玉があった。樋口監督が今回のためにメガホンを取った短編映画『巨神兵東京に現わる』だ。巨神兵とは、あの宮崎駿が漫画『風の谷のナウシカ』に登場させた巨大な人工生命体。紛争の調停者として生み出され、旧世界の文明を七日間で焼き尽くした。そんな巨神兵がある日突然、現代の東京に出現する。これが『巨神兵東京に現わる』の基本設定だ。
                          
                                                  幅60cm高さ40cmの部屋 

指示をする樋口監督(パネル).jpg上映時間約9分のこの映画に、CGは一切使用されていない。空から降下してくる巨神兵も破壊される東京の街も、コンピューターの中の仮想空間なら映像化は簡単だろう。しかしそれでは、特撮現場における職人技術のすばらしさを知ってもらおうという、今回の展示会の企画意図に反してしまう。従来どおり、ミニチュアなど実体があるものを使って撮影することに、意義があるのだ。その作業は、「先輩達が試行錯誤を繰り返した末に、新たな技術を開発し新たなイメージを手に入れた道程を、もう一度たどってみようという試み」(樋口監督)でもあった。


指示をする樋口監督(パネル)

CG以前の手法を採用するといっても、"昔は良かったね"とただ懐かしんでいるだけなどと勘違いしてはいけない。樋口監督の言葉からわかるように、「新しい技術」と「新しいイメージ」を手に入れようという前向きな姿勢が、この映画製作の根底にあるのだ。具体的な例をいくつも紹介するとネタばらしになってしまうので、ここで触れるのは1つ、巨神兵の動きに関する話だけにしておこう。

若い来場者も多かった.jpg従来、ミニチュアセットで暴れる怪獣などは、スーツアクターが着ぐるみに入って演じたが、今回は全く異なる方法が使われている。巨神兵は人間離れした細身の体に長い手足を持っているため、着ぐるみでは無理があるのだ。そこでパペット、つまり人形(人間大)が使われることとなる。通常パペットは、マリオネットのようにピアノ線で釣って動かす。しかし今回は、演じる人間の動きがそのまま再現できるロッド方式が採用された。巨神兵とその後ろに立つ演者の手足や頭が、ロッドと呼ばれる操作棒で連結され、演者が歩けば巨神兵も歩き、演者が首を右に向ければ巨神兵も首を右に向ける。このロッド方式なら、より自然な動きが出せるという。そうして着ぐるみには適さない体形を持つ巨神兵が、マリオネットでは難しい自然な動きを見せるという、特撮映像における「新しいイメージ」が現出することになるのだ。(合成技術を使い、演者とロッドが映像から消されることは言うまでもない)

ビルの裏を見ると、こんな文字が.jpg『巨神兵東京に現わる』の特撮映像はメイキングの種明かしを聞いたとき、「あれもミニチュアだったの!?」とか「あそこはCGだと思ってた」と、つい口に出してしまいそうなものが目白押しだ。昔の特撮作品に思い入れのない人であっても、東京が破壊される迫力満点のシーンにはついつい見入ってしまうに違いない。「昔ながらの手法でもここまでやれるんだ」ということを示してくれた樋口監督と現場スタッフに、僕は心から拍手を贈りたい。





ビルの裏を見ると、こんな文字が

ただしリアルさという点に関しては、CGが今後さらに質を高めていくことに疑いの余地はないだろう。予算の面からしても、古い特撮技法が活躍の場を奪われるのは時代の流れなのかもしれない。そう考えると、今回のような展示会が開かれるのは非常に意義深いことだし、それを見に行けたことは幸せなことだった。今回の展示会は、常設の特撮博物館ができないかというところから始まったらしい。財団化するのに何億もかかるなど様々な困難があるそうだが、いつか(僕が生きているうちに)それが実現することを祈ってやまない。

第23回:存在しないはずの音
2011年12月02日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】河口湖でフルマラソンデビューを果たした。目標タイムは4時間半で、結果は4時間35分弱。根拠なく設定した目標の割には、現実的だったようだ。
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マンガの世界には、実際には聞こえない音が存在するらしい。ショックを受けた時の「ガーン」や、目の前に強大な敵が立ちふさがった時の「ゴゴゴゴ」など、誰でも一度は目にしたことがあるだろう。けれど、どこで何が出している音なのか説明できる人はいない。それは当然と言えば当然だ。なぜなら、「ガーン」や「ゴゴゴゴ」は"音"ではないのだから。

日本語には擬音語と擬態語というものがある。前者は足音の「コツコツ」や戸を叩く「ドンドン」など、実際の音を文字化したもの。後者は緊張を表す「ドキドキ」とか心配する気持を示す「ハラハラ」など、様子や心象を表したもの。通常「ガーン」は何かを叩いた時の音、「ゴゴゴゴ」は地鳴りなどを表わす擬音語の類なのだが、マンガでは擬態語として使われていると解釈すべきだと思う。

映像作品にも、こういった擬態語的な効果音が使われることがある。ここではそれを仮に、擬態音と呼ぶことにしよう。その例としてわかりやすいものは、ショッキングな場面に響く、ピアノの腱板を勢いよく叩いた音。これはまさに、マンガの「ガーン」と同じだ。一説には、マンガのほうが映像作品内の効果音に影響を受けたとも言う。

擬態音は、特撮番組でより多く使われている気がする。例えば『仮面ライダー』の変身シーン。まず主人公が右手を体の左前方に上げてポーズをとると「ヒュイィィィーン」。その手をゆっくり右に回すのに合わせて「ジャララララー」。そしてそれを下げると同時に、左手を上げれば「ズォォォォー」。文字で表わすのに一苦労するような音が続く。必殺技ライダーキックが繰り出される際にも、文字にはしにくいようなユニークな効果音が毎回入っていた。

ウルトラヒーローの光線技や、人間が使用する光線銃の効果音は「ピー」や「ビビビビ」というものが定番だ。あまりにも定番なので、光線は音がするものという思い込みが僕の中にはしっかりと出来上がってしまった。現実には、光線は光だから音などするはずがない。将来光線銃が開発されても、それは無音なのだろう。だけどそれでは、僕にとって懐中電灯と大差がない。もし僕が光線銃を撃つ機会があったとしたら、口で「ピー」と効果音を出してしまうのではないだろうか。

『ウルトラマン』には、無重力空間の音というものもある。あえて文字にすれば「ムォンムォンムォン」と少しくぐもった音。登場人物らが無重力空間に放り込まれ、身動きの取れない苦しさ。そういった感覚を、この効果音はうまく伝えている。さらには、音が聞こえないはずの宇宙空間にも音が。「ドゥルルルルー...ピーン、ポーン、プーン」と静かに余韻を残して響く寂しげな音。果てしない宇宙の神秘性がよく表わされていると思う。この効果音も、僕の中にしっかりと根を張ってしまっている。そしてもし僕が宇宙飛行士だったら?ロケットの操縦席に座って星々を眺めながら、自分の口でこの効果音を再現しているに違いない。

第13回:大海の"マッカチン"
2011年02月10日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】今度は『GANTZ』が映画化された。僕が原作で"おお!"と思ったのが、奈良の仏像の場面。映画にもあるらしい。ちょっと期待。
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子供の頃、夏になるとよくザリガニ取りをした。ザリガニの中でも大きくて真っ赤なものを"マッカチン"と呼んでいたが、見つけると嬉しくて大騒ぎしたものだ。ザリガニやカニという甲殻類は、カブトムシやクワガタと同じように子供に人気がある。理由は見た目が強そうなこと。ハサミという武器を持ち、硬質なヨロイに身を包んだ戦闘的なフォルムに、男の子たちはしびれてしまうのだ。

東宝映画の『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』には、エビラという大ザリガニが登場する。嵐の海から巨大なハサミが姿を見せ、船の行く手をさえぎるシーンは迫力満点。またマッカチンのように赤いエビラが、黒っぽいゴジラと組み合うと、色彩的に見事な対比がスクリーン上に現れる。それはさながら角川映画の『天と地と』で、武田軍の陣を上杉軍が突破して行くシーンを見るよう。くんずほぐれつ戦う2頭の怪獣。『天と地と』のキャッチコピーそのままに、"赤と黒のエクスタシー"が味わえるんである。

古今東西、人間の想像力が生み出してきたモンスターたちは、実在する生物の姿を元にしてきた。大蛇などのように単純に巨大化したものもあれば、龍やスフィンクスのように複数の生物の要素を取り入れたものもある。さらには、八岐大蛇や地獄の番犬ケルベロスのように、生物の姿をアレンジ(奇形化)したものもある。エビラは上記3分類のうちひとつ目の、"生物巨大化型"怪獣だ。

巨大モンスターが登場する映画のパイオニアは、『キングコング』だろう。キングコングとは、もちろん巨大なゴリラ。エビラ同様、"生物巨大化型"である。映画自体の地位は確固たるものがあるけれど、残念ながら主役のキングコングは、"カッコいい怪物・怪獣ランキング"で上位に入れそうもない。そもそもゴリラ自体が、"カッコいい動物ランキング"ではトップ争いに絡むことがない。

そういった意味では、日本のモスラも大差ない。人間の味方という役柄(?)上、人気はある。でもその姿は蛾(蝶)そのもの。むしろ弱そうだ。『ウルトラQ』に登場したモングラーはモグラだからカワイイし、ナメゴンにいたっては気持悪いという以外のなにものでもない。ナメゴンのモデルは...、そう、ナメクジなのだ!

こうして見ると、エビラは貴重な存在かもしれない。しかし、カンブリア紀にも負けない多様性を誇る日本の怪獣達の中では、エビラといえども地味な存在に追いやられてしまう。次回は、複数の生物を組み合わせて作られた"生物複合型"怪獣を取り上げよう。