We are one

Chewing over TOP » We are one » 「イベント」一覧

第18回:ポジティブな未来の予感
2012年07月05日

【written by メイソン千恵(めいそん・ちえ)】オーストラリア人の夫と共にブリスベンに在住。現在はオーストラリアの先住民、アボリジニを支援する団体「ノワカ」で活動中。驚きや感動を抱きながら、独特の文化と生活に触れている。
【最近の私】ここ数日、ブリスベンでは雨が降り続いています。おかげで庭はジャングルのように...。ああ、クイーンズランドのまぶしい太陽が恋しい...。
----------------------------------------------------------------------------------------
18-1.JPG5月26日、「国家謝罪の日(National Sorry Day )」を記念した式典が、ブリスベン北部にあるカリンガ・パーク(Kalinga park)という公園で行われました。「国家謝罪の日」は、1997年の5月26日に"盗まれた世代(Stolen Generation)"(アボリジニの子供達を親から強制的に引き離し、施設に隔離する政策)ついて書かれたレポートが初めて公開されたことにより、定められました。そして2008年、この"盗まれた世代"の人々に対して、政府が初めて公式に謝罪。(第6回:忘れざる過去への謝罪 参照)その謝罪の記念碑がカリンガ・パークには設置されており、この日のセレモニーは、その記念碑を囲んで行われました。

18-2.JPGのサムネール画像当日は、小雨が降っていたにもかかわらず、大勢の人々が集まっていました。まず、オープニングでは、地元のエルダー(アボリジニの人々は敬意を込めて、年配者をエルダー(Elder)と呼びます)が、クラップ・スティック(Clap sticks)という拍子木を打ちながら歌を歌い、それに合わせてアボリジニの学生たちがウエルカムダンスを踊りました。そのあと、"盗まれた世代"であった人や、その世代を親や兄弟に持つ人、アボリジニの高校生などによりスピーチが行われました。また、"盗まれた世代"の政策のことを大人になるまで知らなかった学校の先生のスピーチなどもあり、どれも興味深い内容のものばかりでした。スピーチの合間には、ボディペインティングを全身に施した子供たちがダンスを披露。最初は恥ずかしそうにしていた子供たちも、皆の声援を受けながら3曲ほど踊りきり、得意げな様子でした。その姿がとても可愛らしく、会場もおだやかなムードに。観客の中にはその子供たちと同じ学校に通うアボリジニでない生徒もたくさんおり、普段見慣れない友人の姿を見て驚きつつも、彼らのパフォーマンスに感心しているようでした。

18-3.JPGこのように、アボリジニの子供たちがメインになってパフォーマンスをし、その姿を見た他の子供たちが、彼らと彼らの文化を誇りに思えるようなイベントを行うことはとても大切なことだと感じました。今回このイベントに参加して印象に残ったのは、アボリジニ以外の人々、特に学生が多かったこと。今までに参加したアボリジニイベントには、アボリジニの人がほとんどということが多かったのですが、この日はそれがとても印象的でした。アボリジニの歴史や過去の事実を何も教えないという学校も多かった数年前までに比べ、だんだんと学校教育も変わってきているのかもしれません。私の夫はメルボルンで育った白人のオージーですが、アボリジニの文化や歴史など、学校では何ひとつ教わらなかったのだとか。教わったのは「キャプテンクックが来て、オーストラリアを作りました」ということだけだったと言います。でも最近では、小学校で、オーストラリアの旗に加え、アボリジニやトレス海峡諸島民の旗などを掲げていたり、アボリジニの文化を勉強するために授業でブーメランを作ったりする学校もあるようです。

18-4.JPGネガティブな過去をなかったことにするのではなく、このような歴史的なイベントにも皆で参加し、生徒1人1人がその意味や歴史的背景を理解した上で、お互いを尊重し合うことができれば、こんなに素晴らしいことはありません。今後もこのように、学校でアボリジニの文化や歴史に関した教育をすることが定着すれば、アボリジニ以外の人々のアボリジニに対する見方や考え方が変わっていくのではないかと思います。この式典は、そんな未来への希望を感じさせるイベントでした。                                         左から、トレス海峡諸島民の旗、 
                                                                                       オーストラリアの旗、アボリジニの旗

第15回:アボリジニの少年犯罪
2011年04月14日

【written by メイソン千恵(めいそん・ちえ)】オーストラリア人の夫と共にブリスベンに在住。現在はオーストラリアの先住民、アボリジニを支援する団体「ノワカ」で活動中。驚きや感動を抱きながら、独特の文化と生活に触れている。
【最近の私】実は現在妊娠中で6月に出産予定です。そこで今月から数ヶ月の間、コラムをお休みさせていただくことになりました。今まで私のコラムを読んでくださったみなさま、本当にどうもありがとうございます。また復帰しだい、よろしくお願いいたします。
----------------------------------------------------------------------------------------
ノワカでは、罪を犯したり、少年院に入っていたりした少年・少女たち向けプログラムを行っています。プログラムの内容は、「ライフスキル」「スポーツ」「アート」「ミュージック」などさまざまです。私のノワカでの仕事は広報関連なので、普段あまりプログラムに関わることはないのですが、2〜3月は特別プログラムを実施するということで、ジャパニーズクッキングを3週にわたり教えることになりました。

メニューは"安い、簡単、お腹にたまる、彼らの口にも合いそう"を基準に『コロッケ』『タコライス』『そぼろどん』の3食を選びました(タコライスはジャパニーズとも言えないかもしれませんが...)。

soboro.jpg少年6人&アボリジニ男性ユースワーカー(Youth worker: 青少年指導員)3人を相手に、米の研ぎかたを説明し、料理酒を飲もうとする少年を止めたりしながら、なんとか3回とも無事終了......。まずいと言ってキレられたらどうしようかと内心ヒヤヒヤしていましたが、どれも彼らのお口に合ったようで、一安心でした。プログラムの最中に喧嘩などのトラブルが起こることもしばしばあるのですが、みんな最後の洗い物も掃除も文句ひとつ言わずやってくれました。

数日前、プログラムに参加していた少年に道端でばったり会ったのですが、すれ違いざまに笑顔で「That tucker was deadly!」(tucker:アボリジニの人々が"meal(食べ物)"の意味でよく使う言葉、 deadly:同じく"so good(とても良い)"の意味) と言ってくれ、とても嬉しかったです。

このように私もプログラムに参加したり、職場で会ってBoys.jpgアボリジニの少年たちと話をしたりする機会がときどきあるのですが、みんな基本的にはとても明るく性格の良い子たちばかりです。でも悲しいことにノワカばかりでなく、オーストラリア全体を見ても、アボリジニの少年犯罪は頻繁に起こっています。ノワカのコミュニティを見ていても感じるのですが、アボリジニの子どもたちは13〜14歳で学校に行かなくなり、何もしない退屈な生活の中で刺激を求め、犯罪に手を出してしまうケースが多いようです。アボリジニの子どもたちが学校に行かなくなる理由はさまざまですが、主な原因は学校教育に窮屈なものを感じたり、差別されたりすることのようです。

昔はアボリジニにはアボリジニの教育方法があり、それに従って文化や生活習慣を代々受け継いでいました。しかし白人社会が浸透した現在ではその習慣も失われ、家族からは何も学べない、でも学校の教育方針にも馴染めず学校にも行かない、という子どもたちが多くいます。

また、アボリジニコミュニティで問題になっているアルコール中毒の親から生まれた子どもや、親が教育を放棄し、ホストファミリーに育てられている子どもたち、刑務所やストリートで生まれた子どもたちなども多く、彼らが犯罪に手を出す可能性が高いのも悲しい現実です。

よくアボリジニの大人たちは「少年院はアボリジニの学校。どこの少年院出か聞けばそいつの出身がわかるよ」などと冗談を言ったりします。そして実際に、少年院や刑務所にいたことのある人がとても多いのです。

しかし、そうなる理由は、アボリジニの人たちの犯罪率が高いからというばかりでなく、警察もアボリジニの人々を目の敵にしており、通常であれば厳重注意で済む状況であってもアボリジニというだけで即逮逮捕、などということが頻繁に行われているためでもあります。また、不公平な社会に対し反感を持つ若者も多く、さらに罪を犯す...という悪循環になってしまっているようです。

こういった状況の中で、ノワカのユースワーカーたちを含め、若者たちの未来のためにアボリジニコミュニティを少しでも良くしようとする人々もたくさんいます。そういう人たちも昔は非行少年であったというケースも多いのですが、だからこそ、若者たちに伝えられることが多いのでしょう。今後はアボリジニの若者たちが、自分がアボリジニであることを誇りに思い、胸を張って生きられる社会になっていくことを願っています。そうすれば、少年犯罪もおのずと少なくなり、アボリジニコミュニティの明るい未来につながるのではないかと思います。

※「最近の私」にもあるとおり、このコラムはしばらくお休みになります。メイソンさんの復帰をお待ちください!

第9回:アボリジニフードに挑戦!
2010年10月21日

【written by メイソン千恵(めいそん・ちえ)】オーストラリア人の夫と共にブリスベンに在住。現在はオーストラリアの先住民、アボリジニを支援する団体「ノワカ」で活動中。驚きや感動を抱きながら、独特の文化と生活に触れている。
【最近の私】今、オーストラリアはスクールホリデーの真っ最中。どこもかしこも子連れのファミリーでいっぱい。ショッピングセンターでは駐車場を見つけるのに15分、スーパーではカートが渋滞して前に進めない状態!恐るべしスクールホリデー...。
----------------------------------------------------------------------------------------
「アボリジニって、イモムシ食べるってテレビで見たことあるけど、それって本当?」私が日本の友達にアボリジニの話をしたとき、最初に聞かれたことでした。私は「オーストラリアの中心部では、まだ食べている人たちもいるみたいだけど、ブリスベンでは、さすがにいないよ。」と答えました。実際、そのときは、芋虫を食べている人を見たことも聞いたこともなく、もうブリスベンからそういう習慣はなくなってしまったのだと思っていました。が、しかし、実はいたのです、身近なところに、芋虫(ウィッチティ・グラブス)を普通に食べる人が...!

第7回のコラム(「文化の壁を超えたステージ」)で紹介したディッジプレーヤーのトロイと、我々和太鼓チームは、またパフォーマンスをともにする機会がありました。そのパフォーマンス終了後、メンバーと片付けをしていると、トロイが大きな芋虫の5〜6匹入ったタッパーを片手に近づいて来るではありませんか! 私たちメンバーは、まさに「What the...(な、何あれ...)」という状態で、あっけにとられていると、「Hey Chie, want some?(ちえ、食べる?)」

このとき、私は初めて、前日の電話でトロイが「I got some witchetty grubs. Do you guys want to eat them? I'll bring them tomorrow anyway.(イモムシ採ったんだけど、みんなで食べる? とりあえず、明日もっていくね)」と話していたのを思い出しました。そのときは、ジョークだと思って、はいはい、芋虫でもなんでも食べますよ〜と聞き流していたのですが、まさか本当に持って来るとは思ってもいませんでした。しかも、まだしっかり生きている。

しかし、私もよく考えてみると、アボリジニ大好きなどと言いながら、まだ芋虫のひとつも食べたことがない。これはマズいのではないかと思い、「You guys gonna cook them aren't you? Then, maybe I can try some...(これ、焼くんだよね? それなら少し食べてみようかな)」と言うと、すかさずトロイの奥さんが、「No, you eat them alive.(ううん、生きたま食べるのよ)」と。「No way! I can't eat it alive!(ムリムリ! 生きたままは、絶対にありえない!)」蜂の子の佃煮を食べるのだって1時間かかったこの私が、10センチもあろうかという、巨大芋虫を生きたまま食べるなど、到底無理。しかし、そう叫ぶ私の横で、トロイは芋虫を一匹ひょいと掴み、まるごと口の中へ入れてしまいました。そして、ホラねと言わんばかりに、口を開けて見せてくれる...。周りで見物していた人たちはゲー!と大騒ぎ。そこで私は、「Can I just eat half of it?(半分だけでもいい?)」と聞いてみました。すると、今度はトロイの12歳の娘が、「No, you have to eat the whole thing because if you eat half, you can see the insides. That'll make you wanna throw up.(ダメだよ。半分だけ食べたら、中身が見えて吐きたくなっちゃうよ)」などと、ナマナマしいことを言うではありませんか。

ウゴめく芋虫たちを横目に、私はもう半分あきらめかけていました。しかし、今度は周りの見物人たちが「Come on Chie! You can do it! (ちえ、頑張れ!できるよ!)」と言って、ビデオを回し始めます。まったく、人ごとだと思って...。

でも、もうこうなったら、やるしかありません。一番小さそうなのを一匹選び、その手の中でウネウネと動く芋虫を一気に口に入れ、頭の部分で噛み切りました。もうそのあとは、とにかく噛んで、飲み込んで...。すると周りからは歓声(中にはウエーというような声も)が上がり、私は思わず、ガッツポーズ。

味は、生卵みたいだとか、ジャガイモのようだとか、いろいろと聞いていたのですが、私個人の感想としては、シーフードに近いと思いました。車エビを、ミディアムレアで食べたときのような...そんな感じでしょうか。臭みなどは、ほとんどなく、実は思ったほど、気持ちの悪いものではありませんでした。もう次回からは、それほど抵抗なく食べられそうな気がします。焼いてあれば、醤油でもかけてご飯と一緒に...!?

このパフォーマンス後の打ち上げパーティで、トロイ一家は日本食に初挑戦。最初は、生の魚だけは食べたくないと言っていたのですが、もちろん、生きた芋虫を食べた私が、それを聞き流すわけもなく、「I ate your food, you eat mine!(私はアボリジニフードを食べたんだから、今度は、みんながジャパニーズを食べる番でしょ)」と、しっかり刺身も食べていただきました。でも、さすが芋虫好きのファミリーだけあって、意外とすんなり食べていました。トロイも、トロイの奥さんも子供たちも、みんな初めて食べるものばかりだったようですが、ひとつひとつ食べ方を聞いては、きちんとそれを実践していました。

お互いの国の料理を食べ合い、私とトロイの友情もさらに深まりました。オーストラリアに来た際、機会があればぜひ、芋虫を食べてみることをお勧めします!本来のオーストラリアが見えてくるかもしれません。

1.jpg 
トロイとトロイの奥さんグエンダ、プロ和太鼓奏者の神奈川 馬匠先生と一緒に。

2.jpg
打ち上げにて、初めての日本食を食べるトロイ一家。

第8回:食生活を見直して"Close the Gap"!
2010年09月30日

【written by メイソン千恵(めいそん・ちえ)】オーストラリア人の夫と共にブリスベンに在住。現在はオーストラリアの先住民、アボリジニを支援する団体「ノワカ」で活動中。驚きや感動を抱きながら、独特の文化と生活に触れている。
【最近の私】コアラをペットとして飼う夢を見ました。帰宅すると犬のように走ってきて、私の頭によじ登り、ハグしてくれるのです。夢の中で、私は必死にユーカリの木を探していました。ペットコアラ...いいかも。
----------------------------------------------------------------------------------------
アボリジニの人々は他のオーストラリア人と比べて平均寿命が短いと言われています。2005年〜2007年の調査によると、アボリジニの平均寿命は、男性62.2歳、女性72.9歳。その他のオーストラリア人の平均寿命に比べ、男女とも約10歳短命です。ここ数年でかなり改善されてきているようですが、まだまだその差は大きく、現在でも深刻な問題となっています。
私がノワカで働き始めてからの3年足らずの間にも、多くのアボリジニの人々が亡くなりました。みんなごく身近なコミュニティの人々や、ノワカスタッフの親族や友人など。今年の夏にも4人の方が亡くなりましたが、毎回本当にショックを受けます。

アボリジニの人々のおもな死亡原因としては、がん、糖尿病、高血圧、心臓病、などの生活習慣病があげられます。そして、アボリジニ男性が心臓病にかかる割合は、その他オーストラリア人男性の3倍、アボリジニ女性が子宮がんで死亡する割合は、その他オーストラリア人女性の5倍と言われています。しかし、これらの病気の発端は、今に始まったことではなく、白人が初めてオーストラリアにやってきた、230年ほど前にさかのぼります。
白人がさまざまな食料(小麦粉、砂糖、紅茶、ジャム、缶詰など)を持ち込んだことにより、アボリジニの人々の食生活はがらりと変わりました。それまで伝統的な狩猟や採集などで生活をしていた彼らは、その見た事もない食べ物の美味しさに驚き、ジャムを1度に1瓶まるごと食べてしまったり、紅茶に山ほど砂糖を入れ飲んだりしていたそうです。しかし、そういった無茶な食べ方のせいばかりでなく、もともと砂糖や小麦粉、酒などに対する耐性が彼らの体にはなかったことから、アボリジニの人々は次々に病気にかかりました。また、白人がアボリジニの人々には免疫のない病気(インフルエンザ、はしか、結核など)を持ち込んだため、その結果、過半数以上のアボリジニの人々が死亡したのです。
現在、アボリジニの人口は、少しずつ増加していますが、それでもまだ全体の2.4%ほど。近年ではジャンクフードや添加物の多い食品などの影響も加わり、彼らの食生活や健康状態は好ましいとは言えない状況です。

しかし一方では、多くのアボリジニ団体が"Close the Gap"をスローガンに、アボリジニと、その他のオーストラリア人の平均寿命年齢の差を縮めようという活動を行っています。例えば、牛肉のように脂肪分の多い肉ではなく、本来アボリジニの食料であったカンガルーなど、高タンパク、低脂肪の肉を食べるように働きかけたりして、本来あるべきアボリジニの食生活を取り戻そうとしているのです。
今後、このような活動がもっともっと盛んになり、多くのアボリジニの人々が彼らにとってベストな健康状態を保てるようになれば、悲しいニュースを聞くことも少なくなることでしょう。その日が1日も早く来ることを一心に願っています。

Picture 1.jpg      Picture 2.jpg
ノワカの活動の一部として参加した              ヘルシーランチタイム
"アボリジニ食生活勉強会" にて

Picture 3.jpg
カンガルー&エミュー(オーストラリア
ネイティブの鳥)のBBQソーセージ

第7回:文化の壁を超えたステージ
2010年09月09日

【written by メイソン千恵(めいそん・ちえ)】オーストラリア人の夫と共にブリスベンに在住。現在はオーストラリアの先住民、アボリジニを支援する団体「ノワカ」で活動中。驚きや感動を抱きながら、独特の文化と生活に触れている。
【最近の私】先週末、友人の誕生日パーティに行ってきました。いつもは真面目な彼が、セクシーなドレスを着て、金髪ウイッグをかぶり、メイクもばっちりで踊りまくっていてびっくり!
----------------------------------------------------------------------------------------
先日、ブリスベンのアナーラ(INALA)で、ヒップホップミュージック・フェスティバル"Stylin' up"が行われました。これは、年に1度開催される、アボリジニの人々によるアボリジニの人々のためのイベント。ステージがいくつも設けられ、テレビ局も取材に来る、とても大きな野外ミュージックフェスティバルです。もともとは10代の若者向けのイベントでしたが、会場内にはいつも、赤ちゃんから80歳ぐらいのエルダー(年長者)まで幅広い世代の人が大勢集まり、音楽を楽しんでいます。

以前ノワカで一緒に働いていた、友人のフレッド(Fred)と彼のヒップホップクルー、インポッシブル・オッズ(Impossible Odds)はこのイベントの常連。彼らはプロのアボリジニ・ヒップホップアーティストで、メッセージ性の強い曲もリリースしています。最近はレコード・レーベルを立ち上げ、地元ではかなりの有名人。みんな活躍を期待しています。もちろん私と夫も彼の大ファンで、とくに"Stylin up"では、いつも以上に気合いの入ったパフォーマンスを期待していました。
 
しかし、今年は楽しく見てるだけ、とはいかなかったのです。なんと、私たちがフレッドの前座を務めることになったのでした! 実は、夫と私はオーストラリアで和太鼓チームに所属しています。思いがけずチームに加わった私ですが、今ではすっかりどっぷりハマっており、最近では月2〜3回ペースでパフォーマンスをするほど。今回は、そんな私の活動を知るフレッドに前座を頼まれたのでした。彼の希望は和太鼓×ディジュリドゥ(ディッジ)の演奏。ディッジプレーヤーは、最近シドニーからノワカのコミュニティに引っ越してきたトロイ(Troy)です。彼もプロのパフォーマーで、ディッジやアボリジナルダンスなどで各地をツアーしています。

和太鼓×ディッジのステージは私の夢でした。しかも、大のヒップホップ好きとしては、まさに夢見心地。もちろん私たちは二つ返事でOKし、チームの中からメンバーを募りました。そして、ヒップホップのオープニングに丁度よさそうで、なおかつディッジに合う曲を選び、アレンジ。和太鼓のみでの練習に加え、トロイ、インポッシブル・オッズとも何度かリハーサルをしました。 
 
最終的に決定した形は、まず和太鼓のみの演奏が2分ほどあり、そこにトロイがディッジを吹きながら登場。しばらくディッジ×和太鼓の演奏が続いたあと、フレッドが『Yo,Yo,Yo, Whutz up brothers n sistas, this is da Japanese Drumming crew KIZUNA n my men Troy on da Didg yo....』みたいな感じでMCを始める。よきところでDJが『チェキチェキ...』と最初の曲をスタートし、そのままみんなで1曲演奏...というものです。全員が集まれる時間があまりなく、そろって練習できたのはたった2回。そんなわけで、不安を抱えたまま本番を迎えることとなりました。
 
当日、和太鼓メンバーは『ARTIST』と書かれたタグをさげ、ステージ裏へ。初めての経験にドキドキしっぱなしでしたが、パフォーマンスをするのはメインステージと知らされ、緊張はいっそう増すことに。マイクのセッティングもいまだかつてないほどのプロ仕様で、緊張に加えて焦りも募ります。でもここまでくると、逆に開き直るしかありません。出演時間は夕方5時30分頃。ちょうど陽が落ちかけるころでライティングもいい感じです。
 
結局、イベントは大成功!それぞれ反省点はありましたが、とにかく楽しめました。インポッシブル・オッズのメンバーもトロイもみんな大興奮。お客さんの反応も最高で、イベント後には多くの素晴らしいコメントをいただきました。中でも印象に残っているのは、『いくつもの文化が融合したステージだったね。これこそ、僕らが本来あるべき姿だよ。すごく刺激になった、ありがとう』という言葉。自分たちが楽しんだだけでなく、見ていた人たちに何かポジティブなものが伝えられたのだとしたら、これほど嬉しいことはありません。とても素敵な経験でした。Thank you everyone,機会があれば是非またやりたいです!

■イベントの動画

■インポッシブル・オッズのホームページ

Stylin'up-1.jpg           Stylin'up-2.jpg
フレッド(MC)、トロイ(ディッジプレーヤー)、             絆のオープニングパフォーマンス
絆(和太鼓チーム)   

第5回:アボリジナルアートは友情の証
2010年07月09日

【written by メイソン千恵(めいそん・ちえ)】オーストラリア人の夫と共にブリスベンに在住。現在はオーストラリアの先住民、アボリジニを支援する団体「ノワカ」で活動中。驚きや感動を抱きながら、独特の文化と生活に触れている。
【最近の私】先週末、メルボルンに遊びに行ってきました。むこうは田舎ブリスベンと違って、オシャレなお店やカフェ、クラブも多くて楽しい! でも、極寒でした...。
----------------------------------------------------------------------------------------
ノワカでは"ビッグ・デイ・アウト(Big Day Out)"という地域のイベントを開催しました。ノワカの活動するアボリジニコミュニティの中からダンサーや、アーティスト、ディジュリドゥプレイヤーなどを集め、パフォーマンスやワークショップを行いました。当日は300人ほどの人々が集まり、イベントは大成功でした。

その日は、たまたま私の弟と彼女が日本から遊びに来ており、このイベントにも参加しました。アボリジナルアートのワークショップを受けた彼らは、いつの間にかアーティストのウォレン(Warren)と仲良くなり、和気あいあいと楽しそうにしていました。優しいウォレンはあまり英語の分からない弟たちにも根気よく、いろいろと教えてくれていた様子。そこで私は、ウォレンに弟たちへのプレゼントとして絵を描いてもらえるか頼んでみました。ウォレンは快く引き受けてくれ、弟たちがリクエストした通りクロコダイルをモチーフにしたアボリジナルアートを描いてくれたのです。絵のタイトルは"フレッシュウォーター・ドリーミング(fresh water dreaming)"。ウォレンいわく、この一見シンプルな名前には、実は深い意味があるそうです。

まず、"fresh water"とは、ウォレン出身の部族を表しています。ウォレンはワカワカ(Waka Waka)という部族出身で、ワカワカ族は、ブリスベンから北西に約200kmほど離れたチャーボーグ(Cherbourg)という地域に属しています 。この地域に住むアボリジニの人々は、"フレッシュウォーター・ピープル(fresh water people)"とよばれ、川など淡水の周りで生活する人々を指します。一言にアボリジニと言っても、"fresh Water people""salt water people(海辺で生活する人々)""desert people(砂漠で生活する人々)""bush people(森で生活する人々)"などに分かれており、それぞれにまったく異なる生活様式や文化を持っているのです。

また、ドリーミング(dreaming)とは、アボリジニの人々が使う特有の言葉で、天地創造の歴史やストーリーを表します。それぞれの部族により、ドリーミングは異なりますが、主には3つの重要な時代からなります。まず、何も存在しなかったころの"始まりの時代"、天地や動植物が生まれたとされる"創造の時代"、 そして現代を含めた"伝承の時代"です。 アボリジニの人々は、"創造の時代"に築いた部族の歴史や、生きるために必要な知恵や技術を、 絵やダンス、歌などを通し現代まで受け継いできたのです。"伝承の時代"にあたる現代では、そのようにドリーミングの痕跡をたどることを"ドリーミング"とよんでいます。
 
ウォレンは、弟たちに本当のオーストラリアを、そして自分の部族のドリーミングを知ってもらいたいという思いを込めてこの絵を描き、名前を付けてくれたそうです。友情の証だと言っていました。ウォレンの思いが弟たちにどれほど伝わったかは分かりませんが、弟は「日本からサムライの刀を送る」と言って、固い握手を交わしていました(サムライ好きのウォレンは大喜び)。

いろいろとわがままを言ったにも関わらず、ウォレンは弟たちに絵をプレゼントできて嬉しかったと言ってくれました。いつか私もウォレンに素敵なドリーミングのストーリーを描いてもらいたいと思います。

   1.JPG      2.JPG
    アボリジナルアートワークショップにて        子供たちにアートを教えるウォレン


    3.JPG        4.jpg
        アートを楽しむ子供たち              ウォレン宅にて、絵を受け取った時。
                                     右からウォレン、私の弟、弟の彼女。

第3回:伝統に新風を吹き込むダンサーたち
2010年05月20日

【written by メイソン千恵(めいそん・ちえ)】オーストラリア人の夫と共にブリスベンに在住。現在はオーストラリアの先住民、アボリジニを支援する団体「ノワカ」で活動中。驚きや感動を抱きながら、独特の文化と生活に触れている。
【最近の私】オーストラリアで、かなりハマっているのは和太鼓! 5月末にヒップホップ×ディジュリドゥ×和太鼓のコラボでパフォーマンスをする予定。Can't wait!
-----------------------------------------------------------------------------------------
先日、ノワカでは、有名なアボリジニのダンサーグループ、"チョッキーダンサーズ(Chooky Dancers)"を見に行きました。彼らはオーストラリア北部の島、エルコ(Elcho)島のヨルング(Yolngu)族出身。ヨルング族は、最近では数少ない、独自の言語を話す部族 (彼らにとって英語は第2言語)です。このグループのダンスは伝統的なものとはちょっと違って、ギリシャの音楽や60年代ディスコ調の音楽に合わせて踊ります。メンバーのほとんどは、最近までエルコ島を離れたこともなかったそうですが、今ではその変わったダンススタイルがYouTubeなどで評判になり*1、オーストラリア中を周ってパフォーマンスをしているそうです。ボディーペインティング(アボリジニの人々が儀式の際に体に塗るペイント)体中に施した彼らが踊るディスコ調ダンスには、ちょっと妙なものがありましたが、会場は終始笑い声につつまれ、みんなとても楽しそうでした。一緒に連れて行った子供たちもゲラゲラ笑い、大はしゃぎ。私は最初のうち、「せっかくのアボリジニ衣装が台無しだ......」とちょっとがっかりしていましたが、会場に集まった人たちの笑顔を見ていたら、すぐにその考えも変わり、大いに楽しめました。

パフォーマンスの後、アボリジニの友人はTシャツにサインをもらいさらに握手もして喜んでいました。その友人は、「彼らはブリスベンのアボリジニとは違う」と言います。「ブリスベンに住むアボリジニの人々は、いつも伝統文化を忠実に守ろうとしているけれど、彼らはもっと自由な感じがする」と。ブリスベンのアボリジニは、いわゆる"都会のアボリジニ(City Aborigine)"。伝統的な料理や言語、文化、習慣などにあまり触れることがなく、彼らの間からは失われつつあります。そのため、独自の文化にこだわり、守っていこうとする人々が多いのです。それに比べ、チョッキーダンサーズの地元・エルコ島は、いまだに昔ながらの生活様式が強く残る、数少ない地域のひとつです。そうした土地に住む彼らだからこそ、伝統的なダンスに一味加えたものを作り出すことができたのでしょう。

チョッキーダンサーズの目標は、ストリートで暮らすアボリジニの若者たちにポジティブな影響を与え、そのお手本となること。普段着のチョッキーダンサーズは、ブリスベンのストリートを歩くアボリジニの少年たちと何も変わりありません。だからこそ、彼らの姿は同じアボリジニの人々、とくに同年代の若者を元気づけられるはずです。これからもチョッキーダンサーズが大いに活躍し、ストリートの若者たちの良きお手本となっていってくれることを願っています。

*1 チョッキーダンサーズの映像は「You tube」で見ることができます。
・2007年、結成間もない頃

・2008年、Yirrkala(ノーザンテリトリー)のコミュニティでのパフォーマンス

・"Australias Got Talent " ( "America's Got Talent"のオーストラリアバージョン)というテレビ番組に出演したときの映像

・コメディ・フェスティバル"comedy gala " にて

第2回:夢と希望を与える勝利
2010年05月07日

オーストラリアではラグビーが盛んです。アボリジニの人々の間でもラグビーはとても人気があり、プロの選手も数多くいます。また、一般のアボリジニの人々を対象にしたラグビーイベントも多数開催され、いつもにぎわっています。

先日はゴールドコーストで、"NRLオールスターズ vs. NRLインディジネス・オールスターズ ( NRL All Stars vs NRL Indigenous All Stars )"の試合が行われました。この試合は、ケビン・ラッド(Kevin Rudd)首相のアボリジニの人々に対する謝罪日*1の2周年を記念して、実施されたもの。アボリジニ対ノンアボリジニの試合は初めてで、国内では大きな話題になりました。

NRL は「ナショナル・ラグビー・リーグ」の略で、オーストラリアのプロリーグのこと。両チームともファン投票で選ばれたNRLの選手で構成され、インディジネスはアボリジニの選手のみ(トレス海峡諸島民含む)、オールスターズはそれ以外の選手のチームです。スタジアムにはアボリジニの人々も大勢詰め掛け、大きな旗を掲げてインディジネスを応援。選手はフィールド内に目印として立てられたポールをディジュリドゥ(Didjeridu)*2のようにして吹くまねをし、ハーフタイムにはプロのアボリジニダンサーたちが伝統的なダンスを披露するなど、アボリジニ色の強いビッグイベントになりました。結果は、16 -12でインディジネス・オールスターズが勝利! オーストラリア全土のアボリジニの人々に、多くの夢と希望を与える試合になりました。

実はこの試合には、ノワカで一緒に働く友人の息子も出場していました。彼の名はジュラル・ヤウ・イェー(Jharal Yow Yeh)。ブリスベン・ブロンコス(Brisbane Broncos)所属の選手です。20歳とまだ若く、普段は家族思いの優しい青年で、最初に会った時はまだ少年っぽさの残るひょろっとしたイメージでした。それが今ではたくましく立派なフットボール選手。感慨深いものがあります。これまでラグビーにはあまり興味のなかった私ですが、今回、初めて彼がプレーする姿を見て、とても感動しました。グランドを駆け回り、身を挺して相手のゴールを防ごうとする勇気あるプレー。思わず胸が熱くなりました。私ですらこんな気持ちになったのですから、アボリジニの人々はさぞかし嬉しかったことでしょう。彼の地元は、ノワカが活動しているコミュニティです。私の知っているアボリジニの子供たちも、自分達のスーパーヒーローが出場する今回の試合をとても楽しみにしていました。

オーストラリアには、今もなおアボリジニの人々に対する典型的な差別や偏見が残っています。ジュラルには今後も、アボリジニの人々が、そしてオーストラリア国民全体が誇れるラグビー選手として頑張って欲しいと思います。

Go Jharal! Go Indigenous All Stars!!! 

*1 2008年2月13日、ケビン・ラッド(Kevin Rudd)首相は、過去の差別的政策で被害を受けたアボリジニの人々に対し、議会で正式に謝罪しました。これはオーストラリア政府としては初めての謝罪であり、アボリジニの人々にとって歴史的な日となりました。

*2 ディジュリドゥ(Didjeridu)とは、シロアリに食われて筒状になったユーカリの木から作られる、アボリジニの伝統楽器。


one001.JPG           one002.JPG
所属チームであるブロンコスの                                 インディジネス・オールスターズの
ユニフォームを着たジュラル。結構モテます。              ユニフォーム。今回の試合のために
                                                                          アボリジニアーティストによって、
                                                                          デザインされたもの。
                                                                          
 one003.JPG                       one005.JPG               
ジュラルの名前入りアボリジニデザインユニフォームを   ジュラルと、お母さんのロンダ(Rhonda)。
着て応援する、ヤウ・イェーファミリー&フレンズ。          ジュラルの20歳の誕生日パーティにて。 

one004.JPG
ジュラルと14歳の弟、キーナン(Keaan)。
ジュラルも昔は、キーナンのように小さかったとのだとか。