やさしいHAWAI’ I

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第43回:日本をこよなく愛するシマダさん
2013年10月18日

【written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)】1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近の私】テニス仲間とのハワイへの旅が近づいてきたが、肝心のハワイ島の火山が静まってしまっている。 それに加え、アメリカでの予算通過を巡り、政府の活動が休止状態。ハワイ国立公園も入場が不可能とか。火山の女神ペレはアメリカの状況に合わせて、お昼寝でもしているのだろうか
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今年11月に念願の再会を果たすことになっている、リチャード・ヨコヤマさんの妹のシマダさん。「今年こそ会いに行くから」と毎年約束をしながら、私の家族のことで忙しい日々が続き、なかなか実現できずにいた。私の長男が6月にジャカルタへ転勤となり、彼の家族も10月初旬にジャカルタへ出発。ようやく一段落ついたのを機に今年こそヒロを訪れようと思っていた矢先、ヨコヤマさんの甥の奥さん、エミからメールが来た。

「アンクル・リチャードの長女、パットが亡くなったのよ。そしてシマダさんが自宅の階段から滑り落ち、今ホノルルのクイーンズホスピタルに入院している。ろっ骨を6本骨折し、そのほかにもひどい打撲と鞭打ち症で痛みがひどいようよ。パットのお葬式のためホノルルに行くので、その時アンティ・シマダの様子を見てくるから、また連絡するわね」

フラダンスが上手なパットが亡くなった。40年前、初めてヨコヤマさん宅を訪れた時、彼女は真っ白なドレスを着て、フラを踊ってくれた。それまではただ腰を振って踊る南国のダンス、というイメージしかなかったフラだが、パットの場合は本当に優雅で格調を感じさせる踊りだった。いつも穏やかな笑顔を絶やさない、知性あふれる女性だったことを覚えている。

そしてシマダさんが大変なことになっていた。彼女の家のベースメントへ降りる階段は、私でさえも少し急に感じられるほどだった。あそこから滑り落ち、ろっ骨を6本も骨折。ただその後のエミの情報によると、高齢にも関わらず、医師が驚くほど元気だそうだ。退院も間もなくで、ヒロのケアホームに入院する予定だという。私は矢も盾もたまらず、シマダさんの携帯に電話をした。
「ハロー」
「シマダさん、東京のアツコです。大丈夫? 階段から落ちたんですって?」
「アツコさん、どうして知ったの? ああ、エミが知らせたのね。 電話ありがとうね。あさっては私の90歳の誕生日だから、電話をくれたの?」
そうだった。シマダさんは、自分の誕生日は広島に原爆が落ちた8月6日だといつも言っていた。私はそのことをすっかり忘れていたのだが、偶然電話をかけた日がその2日前で、シマダさんは喜んでくれたのだ。
「ワタシ、大丈夫よ。ドクターがびっくりするくらい元気なのよ。毎朝30分歩いていたからだろうって。」
「シマダさん、今年こそ会いに行くからね。必ず行くからね。元気でいてくださいよ。」
「アツコさん、必ず来てね。はやく来ないと私ぼけてしまうよ。ぼけてから会っても、もう分からないからね。早く来てくださいよ。」

シマダさんはカラオケが大のお得意。カラオケセットと大きなスピーカーをバンに乗せ、日系人会の集まりがあると西に東に馳せ参じる。日本にいる友人から贈られた男物の着物を着流しにし、兵児帯を粋に締めてマイクを持つ姿はプロ顔負けだった。十八番は中村美律子の「河内おとこ節」、そして北島三郎。長男の結婚式には、サブちゃんの「橋」をシマダさんが熱唱し、テープに録音して送ってくれた。
"この世には目には見えない橋がある 親子をつなぐ橋がある
 這えば立て 立てば歩めと大事に育て 親から旅立つ日が来ても...
親にとって、子供の結婚式にはまさにうってつけの歌だった。ただ、恵比寿の素敵なホテルで、純白のウエディングドレスの花嫁さんの前で流すにはちょっと場違いで、少々気が引けたが。

43-image001.jpg2010年9月に亡くなったシマダさんのご主人は、誕生日が12月8日。シマダさんは、"日本がアメリカと戦争を始めた日よ"といつも言っていた。彼女が、心の中で常に大きな存在となっている日本を訪れた回数は13回にも及ぶ。それでも足りなくて、もっともっと行きたいと言っている。日本の演歌をこよなく愛し、日常のすべてが両親の母国へとつながっているシマダさん。声だけを聞いていると、昔と変わらぬ姿を想像してしまうが、実はもう90
歳なのだ。

〔シマダさん夫妻がまだ元気だったころ。
右奥に見えるのがご主人のジョー〕

両親が日本からハワイへ移住し、当時の移民生活の様子を良く知っている日系二世は、今や誰もが高齢となってきた。だが不思議とシマダさんの口から、そんな話を聞いたことがない。今度会った時には、ぜひ昔の懐かしい話を思う存分聞いてみたいものだ。シマダさん、いつまでもお元気でいてください。